なぜ「ぼの」は抵抗なく認知行動療法に取り組めたか

今年になって認知行動療法を始めたわけですが、私は認知「行動」療法は初めてでしたが、「認知療法」の存在を知らなかった訳ではないのです。実は認知療法に関する本を2冊読んだことがありました。ところが、当時、私はその考え方に懐疑的であり、認知療法があまり有効であるという結論に達することはできませんでした。それに対し、今年始めた集団認知行動療法のクラスでは、全く抵抗なくその手法を吸収することが出来ました。

この違いはどこから来たのか不思議に思い、再び認知療法の本を読み返してみました。確かにそこに並んでいる「思考」に関する考え方の癖は集団認知行動療法で習ったものでした。「認知療法」の記述に関しては完全に一緒なのです。ただ、なぜか本を読んだだけでは納得できない理由がありました。

認知行動療法に納得できなかった理由


本を読んで、「ぼの」の認知療法の初めての印象は下記の二つです。

1.思考の歪みをパーソナルに取ってしまう

私が読んだ、認知療法の本の印象としては、「うつ病になった人は思考が歪んでしまっているので矯正しましょう」というようなスタンスで書かれていたのです。これを私はパーソナルに取りました。例えば本と私の会話が発生していたとしたら下記のようになります。

 本:あなたは歪んだ思考を持っています。
ぼの:いや、そんなことないと思いますけど。
 本:あなたの考え方はおかしいので矯正します。
ぼの:おかしくないのでやめてください。
 本:ほら、例えばこうですよ、おかしいでしょ?
ぼの:、、、

まず、歪みであるとか癖であるとかそういうことを言われると自分の事を攻撃されているようで反発したくなるのですね。これは個人化というか、中傷されているような気分になり、問題を個人的に取ってしまいます。

実際のところ、何回もトレーニングを積んだ後に自分の思考を振り返ると、私の思考はかなり歪んでいました。しかし、それを自分で認められるようになるまでには多くのステップを踏む必要がありました。これを、最初から自分の体験をもとに、自分が歪んでいるという認識までジャンプするのはかなり難易度が高いような気がします。

2.自分の考えが歪んでいると思えない

これは自分が歪んでいるという事を何らかの形で受け入れる事を決めたとします。それでも本人は正しいメンタルバランス感覚を失っているということに気付かない事があるのですね。

ぼの:私が歪んでいるのは認めますがどう歪んでいるんですか。
 本:あなたは右に20度ずれているので戻す必要がありますね。
ぼの:私はまっすぐに立ってるつもりですが。
 本:本来であれば20度戻すところが正しい所だと思いませんか。
ぼの:あなたがまっすぐ立ってないだけじゃないですか。
 本:一般的にはこれが正しい姿勢です。
ぼの:、、、

そもそも「思考」の歪みなんですね。自分の目を通して物事を見ている時点で、平衡感覚を失った頭で物事を考えているんです。あなたの考えが、「おかしい」と言われたところで、どうおかしいのかわからないのです。自分のバランス感覚が崩れてしまっていては、正しい平衡感覚に気づくことは非常に難しいのです。バランス感覚を取り戻すためには、「客観視」ができないといけないのですが、私の場合、平衡感覚を失った自分の目を通して物事を見ているので、そもそも客観視というものが何だったか分からなくなっていました。

この1.と2.の二つの抵抗要因を見事に取り払ってくれたのが「集団」認知行動療法でした。これは実際に集団認知行動療法自体がとてもうまくできているのか、それとも私が通っていた医療機関のカウンセラーの先生がとても優秀なのかは判りません。よってどの医療機関でも同様の授業が受けられるとは限りませんので、私の場合として書かせていただきます。

「ぼの」が集団認知行動療法でうつを治せた理由

1.考え方の癖について考えるのはかなり後ろのステージだった

最初の方のレクチャーでは、どちらかといったら「行動」についての話が多く、「思考」についてはかなり授業では後の方でした。よって私は行動の考え方に惹かれていったので、考え方の癖というのが私に該当するなどという事は知らずにこの療法を始めたのが結果的に良かったと思います。

それから、考え方の癖というのが一般的にありますというような話があるという事には言及がありましたが、あなたがそれですとは言われなかったのですね。なので、あまり自分が歪んでいるという事実を意識せずにこの療法に望めた事も大きかったと思います。

実際に自分が歪んでいるという話なのか?と思う頃には2.の練習を数多く積んでいたので納得して考えられたのです。

2.バランス感覚を養うための、他人の例を用いた練習が数多くあった

これは「他人の例」を「数多く」というのがミソです。私はとても性格が捻じ曲がっているので人の事を論破するのは大好きなのです。まず始めの課題は、他人事のケースワークを論破するエクササイズでした。間違い探しの要領で人のあらを探すのは非常に簡単だったのですね。他人事だから間違っていると指摘しやすいし、他人なので自分は一切傷つきません。

それから、「集団」でやっているので、他の人の考えやケースをいくつも見ることが出来ました。自分よりうつ志向の強い人がいたり、そうではなかったり、それを眺めているうちに段々と自分の立ち位置が見えてくるのですね。それから数多くのケースワークをこなしているうちに論破するのが得意になってきます。

最終的にはこの論破スキルを自分自身に向ける事で私は自分の歪みに気付くことが出来ましたが、慣れないうちは、自己分析はかなり難易度が高い物でした。自分が歪んでいるという認識ができたところで、自分の分析に入ると途端に全く人の例と同じようには分析ができず、「事実」と「思考」の振り分けさえままならないということがありました。

平衡感覚がある程度戻っても、自分の事になると主観的な判断をしてしまうことが多かったので、平衡感覚を失っている状態でいきなり自己分析をしても、なかなか認められないのは仕方がない事ではないかと思います。それから、この平衡感覚はある程度頻繁にやっていないと、抜けて行ってしまいます。定期的なクラスの受講は非常に効果的だと思います。

3.あなたはこう直しなさいというような矯正を強いられなかった

これは集団認知行動療法の特色であるのか、それともカウンセラーの先生の良い所であるのか判断がつかないのですが、基本的な姿勢として、あなたはどう思いますか?という投げかけを多くして頂けた先生でした。私の中核信念を発見していただいた時も、決してそれが間違っているとは先生から伝えられることはありませんでした。

よって、私は、2.で身に付けたスキルを自分に適応し、自己分析をすることで、自分の癖を他人から指摘されて修正するのではなく、自分の気づきによって自己修正できました。もちろん慣れてくれば、自分の考えを他の人に聞いてもらって、正しいかどうか聞いてみるというようなオープンなことも最終的にはできるようになっていきましたが。

自分で自分を修正できるようになるととても強いと思います。

「集団認知行動療法」の良い所

まずは費用が安いという事ですね。一対一ではなく、カウンセラーの先生一人に対して10人~程度ですので、先生の目が届きにくいかもしれません。よって、パーソナルにあまり斬り込まれたくない方、もしくは自分から進んで質問できる方には特にお勧めです。

それから、他の人のパターンをより多く見る機会があったということも良かったと思います。間違っている例を沢山見る事で、何がより状況に即しているか、いないかの判断材料が非常に豊富に手に入りました。それから、ブレインストーミングの量・バリエーションも数が多く手に入ります。ある一つの状況に対して、より多くの選択肢を学ぶ機会がありました。

このようにして私は自分自身が歪んでいるという事実に気付き、それを分析し、論破し、そして現在の心の平安を手に入れるに至りました。これは認知行動療法そのもの、導いてくださったカウンセラーの先生そして、一緒に学んだ同じ境遇の方々のお陰だと思っています。