9月になると回転し始めた脳ミソが止まらなくなり、SNSの投稿が増えました。それからSNSで知り合った、面識のない遠方の友達の友達に、お菓子を買って郵送したりと、落ち着いて考えるとおかしな行動をとるようになっていました。もちろん、その頃は自分で過活動だとは認識できませんでした。
割と多く人が集まるイベントに参加するようになり、そこで知り合った人経由で、別の主催者のイベントにもよく顔を出すようになります。ネズミ算式にSNSの知り合いがどんどん増えていきました。この頃から、過活動が始まり、操転の兆候が見られると思います。
ある日、私は何かしょうもない事で腹を立て、椅子を裸足で蹴りつけます。酷い打撲で腫れてしまい、5日くらい足を引きずることになりました。何とか歩いて予備校に通えたのは不幸中の幸いでした。
体調が安定している訳ではないのに、活動量や行動だけが活発化していきます。一方、心の中の不安は取り除かれず、SNSでは投稿しつつも、常に不安を抱えている状況でした。
一方で、活動的になっている事から更なる減薬を進め、リフレックスを半分にしてしまいます。
辛い通学と製図の練習
8月は週3~4枚のペースで製図の練習を行っていました。週末は予備校に通い、製図の授業でした。朝からバスと電車とバスと歩きで予備校に行くのはかなり辛く、クラフトボスの珈琲やエナジードリンクを飲みながらなんとか眠気を凌いでいました。
製図のトレースは最初は8時間ぐらいかかってしまいましたが、段々と数をこなすにつれ時間は短縮されていきました。また、脳ミソも製図の問題を考えるのに慣れてくると段々と切れ味が戻りつつあり、心は不安定ながらも、問題は落ち着いて考えられるようになってきました。一次試験直後の直後よりも、少し状態が良くなり、自信を取り戻し始めていたと思います。
この頃は、リフレックスとエビリファイを少量飲んでいました。それから導入剤のエスタゾラムも少し飲んでいました。頭のキレを取り戻し始めていたため、次の減薬も視野に入れ始めている頃でした。
認知行動療法に再びトライ
リズムが崩れ、うつの気分に再び襲われている中、認知行動療法のクラスを受けに行きました。そして、そのクラスではかなり内容を忘れてしまっていることに気づきました。
それからメタ認知スキルも鈍っていて、何が事実で、なにが思考なのか区別がつかないようになっていました。この時に、継続と復習が必須であるということに、やっと気づきます。
再びリワークプログラムを再開し、それ以来、うつに襲われても軽症で済むようになってきています。早い段階で自分の「思考」の罠に気づいたり、鬱の「気分」に影響されない「行動」によってサイクルから抜けられるようになりました。
まだ、完治はしていませんが、トレーニングによって、徐々にうつを締め出して行こうと思っています。
2017.08.25
リワーク再び
3週間ぶりくらいにリワークに通いました。久々の集団認知行動療法はとても参考になります。しばらく行かないと内容を忘れてしまうものですね。
そうでした、体調によってバラバラな行動をとっていたのが、ここ数日の抑うつ症状維持の原因でした。気分の波に隷属的な行動をとらない。体調レベルを自己診断し、予め体調レベルにあった選択肢から選択してあげるというのが正でした。
4月頃からリワークに通っていますが数週間でかなり内容を忘れてしまっているので、まとめ直しが必要だなと強く感じました。
うつな気分
うつの波にやられています。今までの積み重ねがまるでないかのようにうつの気分の波に持っていかれている感じがしますね。将来が全く闇に見えます。周囲もうつ一色、何もできてない自分に苛立ちを感じます。
またディスプレイが一台廃棄処分になりそうな勢いです。連日の雨で体を動かせてないのが原因かと考え、外に出ました。雨の中、スキップしていると意外と気が晴れてきて、運動とは本当に大事だなと思いました。
外に出れるとそれだけでもプチ達成感がありますね。少し持ち直した気がします。明日は早く起きれると良いのですが。
再び動けなくなる
試験が終わってから緊張感が緩んだのか全く朝起きれなくなりました。朝のランニングをサボってしまっているので、夜もうまく寝付けず、生活は6月前に逆戻りしてしまいました。
当然、疲労が溜まっていたはずなのですが、ここ3ヶ月でできたリズムが崩れてしまった事にショックを受け、何とか立て直そうと朝のランニングを無理にスケジュールに入れましたが、単発的にできても、その後数日寝込んでしまうといったように、なかなかリズムは戻りません。
5月はリワークプログラムの運動でなんとか体調が保たれていましたが、それを朝のランニングに置き換えてしまい、かつ、それもできなくなってしまったので、運動が0になってしまいました。
これにより私の生活リズムは再びズタズタになってしまい、再び何もできなうつ状態へと戻っていってしまうのです。
通学をしていたため、認知行動療法のクラスにはブランクがあり、スキルを忘れてしまっていたのも一因です。
よくよく考えてみれば、試験前のリズムというのはそれまでのリワークプログラムでの運動と認知行動療法の積み上げと、緊張感があってギリギリの状態で維持されていたという事に最近気づきます。
「ぼの」は夜寝れない
このころ夜の寝つきが非常に悪かったのですが、朝走るようになってから、夜の寝つきはだいぶ改善されました。やはり朝に日を浴びて活動するというのは、夜に寝るためにとても重要であるということが分かります。最初は最低のコンディションで受けなければならなかった模試も、数回受けるうちに、段々と良いコンディションで受けれるようになりました。
ここで、寝るための重要な事ですが、寝るためには、寝る前の2時間程度が非常に重要になってくるようです。その間にPCや携帯をいじっていたりすると、脳が覚醒してしまい、寝れないということになります。薬を飲んだら、電子機器は触らずに、ストレッチ等のリラックスできるような行動をとるのが良いようです。ベッドに入る前に十分に寝る体制になって、ベッドに入ったらすぐ入眠できるのが理想のようです。
それから、夜食を食べないというのはとても重要です。夜食を食べると胃が働いているので十分な休息は取れないようです。試験前日はさすがにスッと眠れなかったので、夜食は我慢して、目をつぶってベッドでじっとして次の日を迎えました。きちんと寝ていたかどうかはわかりませんが、次の日ほとんど眠気はありませんでしたので、思ったよりうまく休めていたのだと思います。
こうして、試験前の3週間は何とかリズムが旨く維持されて過ごすことができましたが、かなり無理をして作っていたリズムでしたので、長くは続きませんでした。
朝走るのは難しい
今までは、リワークプログラムの運動に参加していたのですが、通学が始まって以来、運動が滞るようになりました。そこで、運動不足にならないよう、自分の生活のどこかにランニングを取り入れたいと思っていました。平日は通学、日曜は朝から模試でしたので、平日に模試の時間に合わせて朝起床して、ランニングをする日を週に2回入れようと思い、実行に移しました。
これによって、模試の日に眠くて体調のコンディションが特に悪いという事を防ぐとともに、運動不足を解消しようと思いました。実際、これは短期間で見るとうまく作用しました。朝からランニングをすることで、朝方に徐々に生活が整っていきましたし、引き続き運動も確保できました。それに加え、この朝ランニングというのは環境に依存しない運動法で、転職後も続けることが可能なのでとても都合がよかったのです。
副作用としてはそれ以外の日の朝がグダグダになるという事と、疲労の溜まり具合がかなり強いという事です。試験前の3週間はこれが出来ましたが、試験後はその反動で何もできなくなってしまいます。かなりハードルの高い事に挑戦しようとしていたことが分かります。
ちなみに現在は私は朝走ることは諦めています(笑 リワークプログラムに参加できる時はプログラムの運動が一番続け易いと感じています。転職後は、次にどういう運動にするかは臨機応変に考えようと思っています。
鬼のような通学
とうとう体調があまり芳しくない中、予備校に通学する日が来てしまいました。初日は力学の全範囲を一日で解き切るという鬼のようなメニューでした。絶望的な気持ちで、3,4時間通しで、問題に取り組みましたが、3/4程度しか終わらずに次の日に持ち越すことに決めました。
この日のその決断は正しい物でした。無理して夜遅くまで問題を解かなくて良かったと思っています。次の日に問題を見ると、思ったほど難しくないということが分かり、又、初日に比べると体調も少し改善していたため、より澄んだ心で問題に当たることが出来ました。これは非常に重要な教訓を含んでいます。難しい問題に直面した時に、ごり押しせず、きちんと休息をとって体制を立て直してから事に当たるということです。
私は前職では徹夜をしたりしていましたが、これは長い目で見ると非常に効率が悪く、危険な行為であったと思います。きちんと休養をとって安定した労働をするというのがとても重要な事ですね。
そうして、私の通学が始まったわけですが、始まった日は本当に辛くて、これを一ヵ月続けるという事はとても無理に思えました。しかし、最終的に私はこれをやり通すことになります。人間には適応力があるようです。どんなに辛い局面でも人間は慣れていきます。一ヵ月本当に辛かったのですが、段々とペースに順応していき、辛くとも毎週、同じように問題をこなせるようになりました。
これも私の中で、一つの自信になりました。私は辛い仕事であっても、繰り返しトライすることで慣れる事ができるという事です。もちろん、それが人間の活動限界を逸脱していないということは重要ですが、、、
中核信念・スキーマを探して
人間の行動原理というのがありまして、それはその人が一番恐れている事は何かみたいなことと私は理解しています。人は最終的に突き詰めていくと論理的に破綻している行動原理を事実のように信じ込んでしまっている場合があるようです。
面接の緊張をどうやったらほぐせるか、これを認知行動療法でどうにかできないかと相談するつもりで療法のクラスに参加しました。転職活動をしているときに、何も準備もなくある企業に応募してしまい、資格勉強の真っ最中に履歴書も職務経歴書もポートフォリオも何もないのに面接を取り付けてしまったという話をしました。
この日のお題は「行動原理」でした。あなたが恐れている事は何ですか?それはあなたにとってどういう意味ですか、そうなると最悪どうなるのですか、一番恐れていることは何ですか、というようなことを繰り返して、その一番底にあるものが「行動原理」と言われるようです。
私は面接に失敗することを恐れ、カウンセラーの先生に相談しました。すると失敗すると何がいけないのですかとたたみかけられ、解らないけれども失敗という文字になにかとてつもなくアレルギーを感じるというような事を話しました、それはなぜですか、特定の失敗した経験に基づくのか、失敗によって評価が下がるせいですか、といろいろ話をしましたが、カウンセラーの先生は納得していないようでした、より深い質問を受けるうちに私の口から出た言葉は「失敗してしまったらなす術がない」という言葉でした。すると、カウンセラーの先生から「あなたの行動原理はそれです」と言われ、それが正しいかよく考えてみて下さいとという言葉を後に、先生は立ち去ってしまいました。
私は自分でその言葉がしっくりきていたので、正しいかと言われてもピンときませんでした。しかし、しばらく「成す術がない」という字面を眺めていると、それがいかに退廃的で、論理的な根拠に基づいていないかということに驚きました。こんな酷い考えが自分の中でまことしやかに語られていたかと思うと寒気がします。この「成す術がない」という言葉を論理的に正しくできるのかはかなり難易度が高いですね。人間死んでしまう以外に、「成す術がない」という状況に置かれることはないのではという事に段々と気が付いてきました。
すると私が失敗を恐れていた理由は「成す術が無い」からであったので、成す術があるのであれば、失敗を恐れる必要がなくなったのです。人間は失敗して良いのですね。人間は失敗して成長していくのでどんどん積極的に失敗すればいいはずなんですね。それが本当の意味での失敗になるかは失敗後の対処によるというのはまた別のクラスのお題でしたが。
こうして、私の行動原理が暴かれたことによって失敗への恐れが大分軽減されて、緊張が解けました。自分を面接で失敗なしに良く見せようと考えたのがいけないことでした。面接は本当の自分を知ってもらうためにあるので、そこで見栄を張って自分を大きく見せても、後々辛いだけです。よって、自然体で受けるという事を意識して面接に臨むことが出来ました。