できない日

外出ができるようになってきても、もちろん何もできない空白の日はありました。昼頃に起きて、だるくて何もできず、携帯をいじりながらゴロゴロし、インターネットでネガティブな検索を繰り返し、いたずらに自己否定を繰り返していました。

夜まで結局頭を抱えて、勉強も全くせずに、今日は何もしていないと嘆き、だるさとうつの辛さに打ちひしがれ、何もしなかった自分を呪い、夜も悶々と考え続ける日が何日もありました。

そんな時に唯一の救いはウォーキング/ランニングでした。少しでも外に出て運動すると、少しその間は心配事が楽になりました。また、少なくとも運動をしたという実績が残るので何もしていない時よりも気は楽になりました。

そこでおぼろげながら気づいたのは、外に出て運動ができる日は少し体調を持ち直すという事です。

当時はなぜなのか仕組みが良くわかっていませんでしたが、実は、回復への重要な鍵がここに隠されていました。

しかし、外に出る気にならない日はどうすることもできず、ただ気分に身を任せ、悶々とするしかない日が続きました。

このころはかなりアップダウンが激しく、週単位で調子が揺れることもありました。

予備校

バーに重なる昔の姿

その日、私は、バーに行くことにしました。バーに行くといっても、昼間に空いているバーというのはありませんでしたので、夕方早い時間から空いているバーを探して、行きました。当然早い時間なので、ガラガラ。お客さんは全くいません。

そこで、お酒を注文したいところですが、服薬の関係であまり飲めませんので、私はバーにいってソフトドリンクとフードを注文するという、非効率的な事をしました(笑

久しぶりのバーで、店員さんにオーダーをするだけでかなり緊張してしまいましたが、コーラを手にしてポテトを食べているうちに、ふと、まだ元気なころにバーに行っていた記憶が戻ってきました。

それはまだ自分がスーツを着て、仕事帰りにバーに寄って帰れるような生活ができている頃の、はるか昔の記憶でした。

コーラを掲げてカウンターに腰かけている自分に、その頃の記憶が重なりました。その時に、自分がとても不自然にその空間に溶け込めずにいることに気づきながらも、その頃の落ち着きを想い出すことができたのです。

お酒の代わりにコーラを片手に店員さんと会話をすることができました。お花見をしたかというような話でした。お花見なんて全く自分の現状とはかけ離れた話でした。

私は自分に普通の人としてお花見の話を振ってもらえたことが嬉しく、また、病気でないように振舞えたことが嬉しく、それが一つの自信につながったのです。

自分はまだ完全に人間性を失っていない。

カフェに挑戦

図書館で全く勉強が進まない体調であるという事と、チャンネル不足を解消できないということに気づいた私は、今度はカフェに挑戦します。

カフェでは、少なくとも、注文するという会話が生まれる瞬間があるという事と、フードとドリンクがある事で、ただ勉強するよりも少し、気がまぎれるのではないかということもあり、図書館よりもハードルが低く、
チャンネル不足の解消にも有効ではないかと思いました。

そこで、近所の落ち着いたカフェをインターネットで調べ、そこへ昼から向かいました。

最初は注文するだけでかなり気を使いました。また、勉強はあまり進まず、コーヒーとケーキを食べてぼーっとして帰ることも多かったのですが、それでも何日か通ううちに、注文の際に軽い世間話を挟めるようになりました。

これは会話が全くなかった自分にとってとてもありがたい事でした。カフェに少しずつ慣れてくると、今度はもっと話をしたいという欲求にかられるようになりました。

そこで次に向かった先は、バーです。

バー

図書館は針のむしろ

まず私が目を付けたのは図書館でした。アパートから少し遠いですが、駅前を通って、少し離れたところには図書館があります。そこに通おうと思い、朝から起きる努力をするようになりました。

もちろん、最初は全く起きれませんでしたので、昼から準備をして図書館に向かうということになります。ここで良かったのはウォーキング/ランニングを3ヶ月程度繰り返していたので、歩くのがそんなに苦ではなくなりつつありました。

参考書を詰めていざ図書館の座席へ。図書館で参考書を広げたのは良いですが、ただそこに座るというだけでも、かなりのエネルギーを使ってしまい、全く勉強どころではありません。

図書館の、人がたくさんいる空間に、一人座るという事だけでとても気を使ってしまい、勉強して何かを憶えるなどということは全くできないということが分かりました。

人がいる空間に自分がいるという事だけで緊張感がいっぱいで、そこに背筋を伸ばして座るという事だけで疲れてしまっています。針の筵の上に座らされているような気分で、参考書を広げて眺めているのが精いっぱいでした。

一時間もしないうちに疲れてしまい、アパートへ帰るということになります。こんな状態でどうやって働けるような状態に戻れるか全く見えない日々でした。

カフェ

朝起きれないと色々困る

社会とのつながりの喪失を感じる中で、それに追い打ちをかけるように問題が浮上します。朝起きれないという事です。

2ヶ月もてきとうな生活を送っていると、夜型になりがちで、朝は寝て、昼頃起きて、夜中に寝るという生活スタイルが常態化してしまいます。

薬の関係で夜の寝つきが悪くなっていた私は見事に朝起きれない生活リズムになってしまっていました。

こうなると、チャンネルの減少によってイライラはたまる一方、社会とのつながりも失い、朝起きる事もままならず、八方ふさがりのような状態になってしまいます。

しかし、外に出るには何か理由付けが必要でしたし、自分としても何か頑張れる目標が欲しく、そこで考えたのは資格取得のための勉強でした。

外で、資格の勉強をすることで、社会へ戻る第一歩にしたいと考えました。参考書をもって外へ行き、勉強をして帰ってくる。これを日課にしようと決めました。

図書館

社会とのつながりの喪失

身支度をして外に出ると、ビジネスライクにキビキビとした身のこなしをしている人を見て、ハッとします。

自分からは失われてしまった社会人としての振舞いをそこに発見してしまい、自分はもはや社会人としてビジネスのシーンに戻ることは不可能なのではないかと思うようになりました。

ただ外に出る事でさえおっくうになってしまい身支度もきちんとできずに外に出てしまった自分を思うと、なんて自分は何もできていないのだろうと思いました。

そして、人の目が気になります。自分が変な事をしていないだろうか、変な恰好をしていないか自信が無くなっているため、人の目が気になり、外にいるだけで疲れます。

そして、体力もそんなにないので、駅前まで歩いてどこに行ったらいいのかわからずにブラブラしているうちに消耗してしまい、アパートに帰ってしまうといった具合です。

チャンネルを増やそうと外に出たわけですが、現実は簡単ではなく、行く場所がわからず、気力と体力を使い果たしてアパートに戻ってしまうということで、自分は社会とのつながりを失ったと思うようになりました。

本来であれば、2ヶ月寝てばっかりいたのが、外に出れるようになった、とポジティブに考えるべきなのでしょう。しかし、病気になっていると、なかなかそういう客観的な見方はできません。

朝起きれない

身支度ができない

新たにチャンネルを作ろうと思ったわけですが、そこに立ちはだかる壁がありました。それは身支度ができないという事です。

しばらく綺麗な服を着て外出するということをしていない事に成れてしまうと、身支度をきちんとして、外に出るというのがとてもおっくうになってしまうのです。

例えば、起きたらきちんと朝食を取って、歯を磨き、シャワーを浴び、髭を剃って、髪の毛をどうにかして、服を着て、鞄を持って外に出るという普段何気なくやっていた一連の作業がとても辛く長い道のりに思えます。

良く考えれば、この二か月で、歯を磨くだけでも大分さぼっていたこともあり、寝間着で髪はボサボサで外に出るという事をしていたため、どんな服を着るかなんてことも全く頭から抜け落ちてしまっています。

服を着てみると、太ってしまっていて、着れないとか、服が古くなっているとかいろいろな事に気づき、外に出るところまでなかなかいきません。

この身支度をするという事がこんなにも大変なのか、と思う程、一度引きこもってしまった私にとって社会への復帰とは遠い道のりに思えました。

それでも、完璧に身支度ができなくとも、とりあえず、外に出始めたわけです。最初はどこに行ったら良いのかも判りませんでした。

社会とのつながりの喪失

チャンネル不足

チャンネル不足というのは何の話かといいますと、人間は生存する上で複数のチャンネルに依存できる事が安心感につながるという話があるそうです。

例えばアフリカで上水のインフラが存在しない場合、その水を井戸からだけに頼っていると、井戸が枯れてしまった際に生活ができなくなります。飲み水という点で一つのチャンネルしか存在しない場合の例です。

人間が安心して生活するためには、一つのチャンネルに依存せずに複数のチャンネルに頼る方が安心感につながり快適に過ごせるのですが、これは例えば会話にもあてはまります。

いままで、仕事をやめるまでは私は会話チャンネルとして、同僚、家族、友人等いろいろなチャンネルが存在しました。しかし、その割合は仕事に従事している時間が長いため、仕事での会話が9割で残りが1割といった具合にかなり偏っていました。

仕事をやめてしまうと、残りの家族、友人チャンネル、今まででは10%しかなかったチャンネルが自分の全チャンネルを占めるようになってしまいます。

しかも、社会から離脱しかけている自分を思いやってか、避けているのかは分かりませんが友人チャンネルもかなり減少しますし、避けていないのにもかかわらず疑心暗鬼になってしまい、自分からチャンネルを切ってしまう例も後を絶ちませんでした。

又、家族チャンネルもうつで仕事やめましたという話だけではあまり健康的な会話が生まれず、難しくなります。

結果どうなるかというと、自分の会話チャンネルがとても少ない中それが100%を占め、そして、あまり健康的でない会話ばかりがズームアップされてしまうという現象が起きます。

ストレスを爆発させてしまう理由が、やっとこのチャンネル不足という認識ができるようになって初めて引き籠るということの危険性を認識できました。

そこで始めて、外に出て新たなチャンネルを作らなくてはという事に気づいたわけです。

身支度ができない

般若心経を読む

仕事をやめた当時は本が読めませんでした。全く文字が目に入らなかったのです。集中もできませんでしたし、文字を見ていても内容が全く頭に入ってこないのですぐやめてしまいました。

そういう状態が一ヶ月程度は続いたのですが、ウォーキングアプリで歩いたことで運動によって脳が活性化されたのか、もしくは、良く休めたせいなのか良くわかりませんが、文字が読めるようになってきました。

もう、本が読めるようになる事は無いだろうと思っていた私にはとてもありがたい事でした。そこで読み始めたのは般若心経です(笑

苦から逃れるためにはどうしたら良いかというのは現代だけでなく、昔から人間が直面してきた問いです。むしろ現代よりも、医療やインフラが発達していなかった時代の方がより多くの苦と向き合う局面があったのではないかと想像します。

私は仏教徒ではありませんが、般若心経の中で説かれている「空」(くう)という考えにはかなり共感することが多く、自分の境遇を考える上ではとても役に立ちました。

罪悪感に対してはどのようにその考えを応用して良いかわかりませんでしたので、その解決策にはなりませんでしたが、、、

チャンネル不足

引き籠りストレス

このころ日増しにイライラが増えていきます。今から考えると、それは人と会話をしていない事による物だったのではないかと思います。

良く考えると、この2ヶ月で全く人と会話という会話をしていませんでした。都市に住みながらして、シャイニングのような雪に閉ざされたホテルに閉じ込められているような状態になっていたのでしょう。

私は、自分の苛立ちの仕方が少しおかしいとは気づいていましたが、ある日突然、物を投げたり、しまいには、ディスプレイを叩き割ってしまいました。

たたき割ってしまった自分にも腹が立ち、そのディスプレイをさらに壁に跡が残るまで叩き続けるという事で、自分の異常性に気づきました。

ここで、初めて私は、自分の精神状態が緊迫した状況にあると認識します。