身支度ができない

新たにチャンネルを作ろうと思ったわけですが、そこに立ちはだかる壁がありました。それは身支度ができないという事です。

しばらく綺麗な服を着て外出するということをしていない事に成れてしまうと、身支度をきちんとして、外に出るというのがとてもおっくうになってしまうのです。

例えば、起きたらきちんと朝食を取って、歯を磨き、シャワーを浴び、髭を剃って、髪の毛をどうにかして、服を着て、鞄を持って外に出るという普段何気なくやっていた一連の作業がとても辛く長い道のりに思えます。

良く考えれば、この二か月で、歯を磨くだけでも大分さぼっていたこともあり、寝間着で髪はボサボサで外に出るという事をしていたため、どんな服を着るかなんてことも全く頭から抜け落ちてしまっています。

服を着てみると、太ってしまっていて、着れないとか、服が古くなっているとかいろいろな事に気づき、外に出るところまでなかなかいきません。

この身支度をするという事がこんなにも大変なのか、と思う程、一度引きこもってしまった私にとって社会への復帰とは遠い道のりに思えました。

それでも、完璧に身支度ができなくとも、とりあえず、外に出始めたわけです。最初はどこに行ったら良いのかも判りませんでした。

社会とのつながりの喪失

チャンネル不足

チャンネル不足というのは何の話かといいますと、人間は生存する上で複数のチャンネルに依存できる事が安心感につながるという話があるそうです。

例えばアフリカで上水のインフラが存在しない場合、その水を井戸からだけに頼っていると、井戸が枯れてしまった際に生活ができなくなります。飲み水という点で一つのチャンネルしか存在しない場合の例です。

人間が安心して生活するためには、一つのチャンネルに依存せずに複数のチャンネルに頼る方が安心感につながり快適に過ごせるのですが、これは例えば会話にもあてはまります。

いままで、仕事をやめるまでは私は会話チャンネルとして、同僚、家族、友人等いろいろなチャンネルが存在しました。しかし、その割合は仕事に従事している時間が長いため、仕事での会話が9割で残りが1割といった具合にかなり偏っていました。

仕事をやめてしまうと、残りの家族、友人チャンネル、今まででは10%しかなかったチャンネルが自分の全チャンネルを占めるようになってしまいます。

しかも、社会から離脱しかけている自分を思いやってか、避けているのかは分かりませんが友人チャンネルもかなり減少しますし、避けていないのにもかかわらず疑心暗鬼になってしまい、自分からチャンネルを切ってしまう例も後を絶ちませんでした。

又、家族チャンネルもうつで仕事やめましたという話だけではあまり健康的な会話が生まれず、難しくなります。

結果どうなるかというと、自分の会話チャンネルがとても少ない中それが100%を占め、そして、あまり健康的でない会話ばかりがズームアップされてしまうという現象が起きます。

ストレスを爆発させてしまう理由が、やっとこのチャンネル不足という認識ができるようになって初めて引き籠るということの危険性を認識できました。

そこで始めて、外に出て新たなチャンネルを作らなくてはという事に気づいたわけです。

身支度ができない

般若心経を読む

仕事をやめた当時は本が読めませんでした。全く文字が目に入らなかったのです。集中もできませんでしたし、文字を見ていても内容が全く頭に入ってこないのですぐやめてしまいました。

そういう状態が一ヶ月程度は続いたのですが、ウォーキングアプリで歩いたことで運動によって脳が活性化されたのか、もしくは、良く休めたせいなのか良くわかりませんが、文字が読めるようになってきました。

もう、本が読めるようになる事は無いだろうと思っていた私にはとてもありがたい事でした。そこで読み始めたのは般若心経です(笑

苦から逃れるためにはどうしたら良いかというのは現代だけでなく、昔から人間が直面してきた問いです。むしろ現代よりも、医療やインフラが発達していなかった時代の方がより多くの苦と向き合う局面があったのではないかと想像します。

私は仏教徒ではありませんが、般若心経の中で説かれている「空」(くう)という考えにはかなり共感することが多く、自分の境遇を考える上ではとても役に立ちました。

罪悪感に対してはどのようにその考えを応用して良いかわかりませんでしたので、その解決策にはなりませんでしたが、、、

チャンネル不足

引き籠りストレス

このころ日増しにイライラが増えていきます。今から考えると、それは人と会話をしていない事による物だったのではないかと思います。

良く考えると、この2ヶ月で全く人と会話という会話をしていませんでした。都市に住みながらして、シャイニングのような雪に閉ざされたホテルに閉じ込められているような状態になっていたのでしょう。

私は、自分の苛立ちの仕方が少しおかしいとは気づいていましたが、ある日突然、物を投げたり、しまいには、ディスプレイを叩き割ってしまいました。

たたき割ってしまった自分にも腹が立ち、そのディスプレイをさらに壁に跡が残るまで叩き続けるという事で、自分の異常性に気づきました。

ここで、初めて私は、自分の精神状態が緊迫した状況にあると認識します。

睡眠不足は致命的

減薬で覚醒系の薬が減るとともに、睡眠導入剤の量が過剰になっているのでは、という恐れがあったので、睡眠導入剤の量も抗うつ剤の減量と同時に見直していきました。

これも、当然、主治医と相談の上減らしていきましたが、ただでさえ夜が辛いのに、その上導入剤を引くというのはとても無謀でした。今でもこの選択が正しかったのか良くわかりません。

現在でも、睡眠導入剤を引くというのは課題の一つにしていて、抗うつ剤の減薬の隙をみては若干ずつ、睡眠導入剤を引いてみるというのを繰り返しています。 

当時の自分は、睡眠の質が非常に悪く、半日程度寝ていても、必要な睡眠がとれていないという状態でした。当然、体調も非常に悪く、しかも、それが何によるものか分かっていないという状況でした。

この慢性的な睡眠不足は、無理な睡眠導入剤の減薬をやめ、少し量を戻してあげる事で解決しましたが、それが分かるまでは大変つらい思いをしました。

心を磨り潰される減薬

この罪悪感、不安感、絶望感が入り混じる中、私は減薬に踏み切ります。今から考えると、かなり無謀だったと思います。結果論として、よかったのかもしれませんが、とても危険だったと今でも思います。

減薬の理由としては、おそらく働くためにいままでは薬を沢山入れていたということがあったはずだと思っていたので、働く必要がもはやなくなった以上、減薬できるだろうという考えでした。

勿論、主治医に相談の上、少しずつ行っていきましたが、最初に引いた量だけでも夜は悪夢のジェットコースター、昼は不安感が増幅され、とてもじゃないけれど続けられないというような状況でした。

再び主治医に相談し、減薬量をさらに細かく半分にしてもらい、それでも辛い夜に耐える日々が始まります。

当時飲んでいたメインの抗うつ剤はサインバルタでした。

私はサインバルタの飲み初めにかなり副作用が強く出ていたので、減薬するときも同様の副作用と、それに加え、極度の不安や精神過敏な状態というのが顕著に出ました。

特に罪悪感と向き合う夜には、それは胸に穴が開くような辛い思いがあり、正気を保てなくなるのではないかという焦燥感にかられながら毎日を過ごしました。

具体的には60㎎から10㎎ずつ一ヶ月おきに引いていきましたが、体調があまりにも悪く、隔日で量をもどしたり、細かな調整をしながらの減薬でした。

そんな中、年は明け、2017年が始まります。

罪悪感との闘い

罪悪感、これにどう対処するか、これは当時の私にとって一番難しい課題でした。仕事でもプライベートでも、自分が社会から消えることでいろいろな人に迷惑をかけてしまったという事に対して、自分がどう対処できるのか。

当時自分の中で一番体に堪えていたのはこの罪悪感でした。罪悪感に対して、私は無力であり、そして、今でも罪悪感が私から消える事は無いように思えます。

私はこの罪悪感と向き合い続けることでしか、償いを見いだせなかったのです。時間だけが、少しずつ解決してくれるような気がしていました。

減薬

ウォーキングアプリとの出会い

アプリを探しているうちに思いついたのは、ランニングアプリでした。走ったり歩いたりした記録をつけられる、もしくは自動的につけてくれる、アプリです。

イングレスを少しやった私は、あまり身支度もせずに寝間着で近所を歩く程度であれば、頑張れば何とか出来ました。当時歩くということは疲れるのであまりしたくなかったのですが、ゲーム感覚で少し歩くことは出来ました。

インストールしていたアプリは2種類ありました、一つは動いた量からカロリーを測定してくれるアプリと、もう一つは走り方のコーチをしてくれるアプリです。

自分が歩くことで、それが記録に残り、通算距離や消費カロリーが表示されるということは達成感に繋がり、当時、何も達成することができなくなっていた私にとって、ひとつの心のより所になっていたと思います。

疲労感はひたすら寝る事で和らぎましたが、体力が全然無い状態から、歩き始める事で、体力回復につながる小さな一歩が、早い段階で踏み出せたと言えます。

罪悪感との闘い

ゲーム探し

会社をやめてから、まず行ったことはゲーム探しでした。

当初はとても不安定な精神状態でしたから、まず気晴らし的な没頭できる何かが欲しかった時期です。少しでも不安定な気分から目を逸らせることができればそれで良かったという、むしろそれだけ追い詰められていたという事です。

生産的でない行動であっても良いからとりあえず、生き永らえるということが私にとって一番重要な目標でした。今から考えると呼吸は酷く浅く、常に疲れていて、不安と絶望感でいっぱいでした。今から考えると、この「一時しのぎで生き永らえる」ということは正しい選択だったと言えます。

完全に退廃的な思想で頭は感情のハイジャックを受けている状態で、現実に対して自分が能動的に解決に回るという考えが未来に起こるという事は全く予想できませんでした。ただ、その曲面を無事に乗り切るということが必要でした。

不安から逃げられれば、方法は問わない。そこで、比較的非生産的なゲームという逃げに走りました。PCゲームと携帯と両方のゲームを探しました。

まずは当時話題のポケモンGOですね。アプリの容量が重すぎて、Wi-Fiのない環境ではダウンロードに失敗してしまい、結局インストールできずに諦めました。

次に、手を出したのはイングレスでした。ハマるらしいという事と、運動にもなりそうだということで、インストールに成功しました。しかし、近所を平日にフラフラしていると怪しいという事と、防衛線がかなり厳しく敷かれている事に気づき、無力感に苛まれ、これも二日程度で断念しました。

他にもいくつかのアプリを試しましたが、なかなか合うものが見つからないままに、日々は過ぎていきました。

ウォーキングアプリとの出会い

マイスリー・ハルシオン・ユーロジン・ロヒプノール・サインバルタ・リフレックス・ラミクタール・エビリファイ・アメル~飲んでいた薬一覧

入院を勧められる直前まで私が飲んでいた薬です。

睡眠導入剤

・マイスリー10㎎
・ハルシオン0.25㎎
・ユーロジン4㎎
・ロヒプノール3㎎

抗うつ剤
サインバルタ 60㎎
リフレックス 30㎎
ラミクタール 25㎎
エビリファイ 3㎎
アメル    200㎎

現在は4種類のみになってきています。

・ユーロジン 4㎎
・リフレックス 30mg
・エビリファイ 24mg
・サインバルタ 50㎎ 

薬を引いていくのはそれなりに大変でした、いくつか減薬に関連する記事です。必ずしも減薬が病状に良い影響を与えるとは限りませんので、無理な減薬は避けましょう。病状をコントロールする上で、最低限の調薬はとても重要です。

メンタルクライシス
パニックアタック
睡眠不足は致命的