最後のパニックアタック

私がパニックアタックに見舞われたのはサインバルタの20mgを0にしてから4日後ぐらいでした。もともと焦燥感を強く感じていて、かつ不安感が強く安定しないと思っていた矢先の減薬でした、そもそも、そういう状況で減薬するのが間違いだったのですが、当時は早く抗うつ剤を引いてしまいたいという間違った思考をしていたので、早めの減薬に踏み切りました。全くお勧めしませんので真似をしないでください。

引き始め3日までは割と順調に行っていたのですが、その日私は気分が少し高揚していて、様々な考えが頭をめぐり、ありもしない転職の面接練習を一人で何度も頭の中で行っていました。夜になって突然、思い立ったようにツタヤに行き、この時点で、普段と違うので何かおかしいと思うべきでしたが、映画を借りてきてアパートで見始めました、映画は古い映画でしたが、私はストーリーの割にかなり切羽詰まる感覚があり、映画に感情移入しすぎてしまったかと思いました。

途中で、余りに気分が落ち着かないため、一度、お風呂に入って落ち着こうとしました。脱衣所で服を脱いでお風呂場でシャワーを浴び始めた瞬間に、突然、呼吸が乱れ、お風呂の空間が突然狭くなったような気分になり、私はその場でパニックになりました。胸の鼓動がかなり早くなっていて自分ではコントロールできません。

落ち着こうとしますが、それとは逆にどんどん追い詰めれていく気がします。気分は悪くなる一方で、頭の中は混乱してしまってどうやってこの状態から逃れてよいか判断が全くできません。風呂場に素っ裸でいるということで、救急を呼ぶということもできず、取り合えず風呂場を出て、服を着ようと思いました。

部屋に戻って携帯を手にしましたがどうしてよいか分からず、取り急ぎ主治医のいる病院に電話をしました、幸いまだ電話口の対応がある時間帯でしたので、近所の病院の救急窓口がある電話番号を教えてもらい、電話を掛けました。その間も動悸とパニックは収まらず、私は床に腹ばいになって必死で電話のボタンを押していました。電話はつながったのですが、どうやら私の部屋は電波が悪いようで、私の声が聞き取りづらいらしく、救急に電話をするかどうかの相談が全く相手に伝わりません。

頑張って話をしようとしているうちに、眠剤を飲めば良いかもしれないと思い始め、何とか起き上がり眠剤の夜の分を早めに飲んで、床でひたすら眠れるまでパニックに耐えました。次の日はやはり不安定でしたが、パニックというほどでもなく、主治医にコンタクトを取り、パニックになった旨を伝え、その時はサインバルタを20mg頓服すればよいとの事、また、隔日で飲むようにするなどの今後の対策を練り、落ち着きました。

その後はかなり気を付けて薬のコントロールを行ったので、パニックになることは無くなり、無理な減薬は非常に危険だという事を思い知りました。

メンタルクライシス

体調は悪い中、朝からレンタルオフィスに通うようになりますが、何もできない日が続くときもあり、なかなか安定しません。

そして、人と話すことが再び全くなくなってしまったある日、私は2度目のメンタルクライシスを経験します。苛々が抑えられなくなってしまい、自分の感情のコントロールを失ってまたディスプレイに当たってしまったのです。

これで、私は今年通算で2度ディスプレイを駄目にするという大失態を演じてしまいます。これは非常に金銭的にも精神的にもインパクトが強く、このままでは自分のコントロールを失ってしまうのではと恐れました。

その頃ちょうど抗うつ剤のサインバルタの最後の20mgを引くという難しい局面に差しかかっていて、体調がかなり揺れていました。かなり焦燥感が強く、落ち着かない気分になっていて、少しどうかすると「気が触れてしまうのではないか」という強迫観念に襲われることも(そんな事は決して起きないのですが、、、)しばしばありました。

最後のパニックアタック

もはや社会とのつながりが通院とレンタルオフィスだけ(少なくとも繋がりはできているものの)というのが非常に心細くなってきました。

そんな中、同様の状況に陥っている人は社会にいないのだろうかという疑問が自分の中に生まれ、うつ病で職を失っている人が行くところは無いのだろうかと、ネットで検索を始めました。

そこで見つけたのはとある医療機関のリワークプログラムでした。

リワークプログラム

レンタルオフィス

図書館、カフェ、バーを通して、少し外出ということに対しての抵抗力をつけた私は、次は勉強により集中できる環境、そして、コストパフォーマンスということを考え始めます。

カフェは例えば2時間ごとに一回程度注文しないとなんだか申し訳ない気分になるので、例えば4時間勉強するといった時に、かなりコストパフォーマンスが悪いということになります。

そこでいろいろリサーチをするうちに見つけたのがレンタルオフィスです。主に起業をされる方が中心に使われるようなのですが、私は勉強と、会話をすることが目的でした。

そして、試験前の予備校通いも想定して、朝から通うという事を義務づけようと、無理に朝から起きるという事も始めました。

レンタルオフィス初日、私は朝から無理やり7時30分に起き、酷い体調で行ったことのないレンタルオフィスへ向かいました。

その日は朝食を食べた後に、歯磨きをする気力がなく家を出てしまい、あまり人とは会話をしたくなかったため、レンタルオフィスの受付での会話はしどろもどろでした。

共有スペースのようなところでラップトップと教材を広げ、席に座りましたが、眠気に襲われ、眠気を我慢するだけで何もできないという苦痛の一日でした。その日は朝から夕方までオフィスにいましたが、全く人と会話もせず、ただ睡魔と闘ってアパートに帰ってくるだけでした。

しかし、通常の社会人と同じスケジュールで外にいるという試みはこの数ヶ月で初めてで、それが非常に難しいという事に危機感を覚えました。

しかし、同時に少なくとも、これを続けて、社会に戻るペースを確立するのだという、自分の想いは強くなっていき、次の日も、私はレンタルオフィスへと通い始めました。

メンタルクライシス

予備校に行く決心

たまに外に出てはカフェで参考書を開き、又、外に出れない日は家で少し勉強するといった具合に、少し勉強が進むようになりました。

もちろん、体調が悪くて何もできない日と半々程度の割合だと思いますが、勉強が進む日というのもあり、次第に、勉強するということが辛いチョイスとして常態的に日常生活の中で存在感を発揮し始めていました。

勉強が進んで気付いたことがありました。うつ病とはあまり関係のない事ですが、建築法規の法改正というのがここ数年間の間にあり、建築士の資格勉強の過去問が現状の法規に対応していないということに気づいたのです。

これは非常にまずい事で、過去問が対応していないということになると、どうやって資格勉強をしていいかの指針を失ってしまうということになります。

そこで、私は予備校に問い合わせ、なんとか教材を手に入れられないかと打診し、最終的には、有料の教材を購入し、かつ、試験直前には予備校に通うというコースを申し込むというかなりその頃の体調ではほぼ不可能と思われる選択をしてしまいました。

これによって、私は6月末までに、何回かの模試で教材のみの独学で良い点を取り、かつ予備校に通える程度まで体調を回復させなければならないという、ハードルを自らに課すことになってしまいました。

当然、その頃、全くそれができるという見込みはなかったのですが、間違った過去問を説くよりかはましな選択であるように感じたのです。ここから自分の、生活に鞭が入ります。

レンタルオフィス

できない日

外出ができるようになってきても、もちろん何もできない空白の日はありました。昼頃に起きて、だるくて何もできず、携帯をいじりながらゴロゴロし、インターネットでネガティブな検索を繰り返し、いたずらに自己否定を繰り返していました。

夜まで結局頭を抱えて、勉強も全くせずに、今日は何もしていないと嘆き、だるさとうつの辛さに打ちひしがれ、何もしなかった自分を呪い、夜も悶々と考え続ける日が何日もありました。

そんな時に唯一の救いはウォーキング/ランニングでした。少しでも外に出て運動すると、少しその間は心配事が楽になりました。また、少なくとも運動をしたという実績が残るので何もしていない時よりも気は楽になりました。

そこでおぼろげながら気づいたのは、外に出て運動ができる日は少し体調を持ち直すという事です。

当時はなぜなのか仕組みが良くわかっていませんでしたが、実は、回復への重要な鍵がここに隠されていました。

しかし、外に出る気にならない日はどうすることもできず、ただ気分に身を任せ、悶々とするしかない日が続きました。

このころはかなりアップダウンが激しく、週単位で調子が揺れることもありました。

予備校

バーに重なる昔の姿

その日、私は、バーに行くことにしました。バーに行くといっても、昼間に空いているバーというのはありませんでしたので、夕方早い時間から空いているバーを探して、行きました。当然早い時間なので、ガラガラ。お客さんは全くいません。

そこで、お酒を注文したいところですが、服薬の関係であまり飲めませんので、私はバーにいってソフトドリンクとフードを注文するという、非効率的な事をしました(笑

久しぶりのバーで、店員さんにオーダーをするだけでかなり緊張してしまいましたが、コーラを手にしてポテトを食べているうちに、ふと、まだ元気なころにバーに行っていた記憶が戻ってきました。

それはまだ自分がスーツを着て、仕事帰りにバーに寄って帰れるような生活ができている頃の、はるか昔の記憶でした。

コーラを掲げてカウンターに腰かけている自分に、その頃の記憶が重なりました。その時に、自分がとても不自然にその空間に溶け込めずにいることに気づきながらも、その頃の落ち着きを想い出すことができたのです。

お酒の代わりにコーラを片手に店員さんと会話をすることができました。お花見をしたかというような話でした。お花見なんて全く自分の現状とはかけ離れた話でした。

私は自分に普通の人としてお花見の話を振ってもらえたことが嬉しく、また、病気でないように振舞えたことが嬉しく、それが一つの自信につながったのです。

自分はまだ完全に人間性を失っていない。

カフェに挑戦

図書館で全く勉強が進まない体調であるという事と、チャンネル不足を解消できないということに気づいた私は、今度はカフェに挑戦します。

カフェでは、少なくとも、注文するという会話が生まれる瞬間があるという事と、フードとドリンクがある事で、ただ勉強するよりも少し、気がまぎれるのではないかということもあり、図書館よりもハードルが低く、
チャンネル不足の解消にも有効ではないかと思いました。

そこで、近所の落ち着いたカフェをインターネットで調べ、そこへ昼から向かいました。

最初は注文するだけでかなり気を使いました。また、勉強はあまり進まず、コーヒーとケーキを食べてぼーっとして帰ることも多かったのですが、それでも何日か通ううちに、注文の際に軽い世間話を挟めるようになりました。

これは会話が全くなかった自分にとってとてもありがたい事でした。カフェに少しずつ慣れてくると、今度はもっと話をしたいという欲求にかられるようになりました。

そこで次に向かった先は、バーです。

バー

図書館は針のむしろ

まず私が目を付けたのは図書館でした。アパートから少し遠いですが、駅前を通って、少し離れたところには図書館があります。そこに通おうと思い、朝から起きる努力をするようになりました。

もちろん、最初は全く起きれませんでしたので、昼から準備をして図書館に向かうということになります。ここで良かったのはウォーキング/ランニングを3ヶ月程度繰り返していたので、歩くのがそんなに苦ではなくなりつつありました。

参考書を詰めていざ図書館の座席へ。図書館で参考書を広げたのは良いですが、ただそこに座るというだけでも、かなりのエネルギーを使ってしまい、全く勉強どころではありません。

図書館の、人がたくさんいる空間に、一人座るという事だけでとても気を使ってしまい、勉強して何かを憶えるなどということは全くできないということが分かりました。

人がいる空間に自分がいるという事だけで緊張感がいっぱいで、そこに背筋を伸ばして座るという事だけで疲れてしまっています。針の筵の上に座らされているような気分で、参考書を広げて眺めているのが精いっぱいでした。

一時間もしないうちに疲れてしまい、アパートへ帰るということになります。こんな状態でどうやって働けるような状態に戻れるか全く見えない日々でした。

カフェ

朝起きれないと色々困る

社会とのつながりの喪失を感じる中で、それに追い打ちをかけるように問題が浮上します。朝起きれないという事です。

2ヶ月もてきとうな生活を送っていると、夜型になりがちで、朝は寝て、昼頃起きて、夜中に寝るという生活スタイルが常態化してしまいます。

薬の関係で夜の寝つきが悪くなっていた私は見事に朝起きれない生活リズムになってしまっていました。

こうなると、チャンネルの減少によってイライラはたまる一方、社会とのつながりも失い、朝起きる事もままならず、八方ふさがりのような状態になってしまいます。

しかし、外に出るには何か理由付けが必要でしたし、自分としても何か頑張れる目標が欲しく、そこで考えたのは資格取得のための勉強でした。

外で、資格の勉強をすることで、社会へ戻る第一歩にしたいと考えました。参考書をもって外へ行き、勉強をして帰ってくる。これを日課にしようと決めました。

図書館

社会とのつながりの喪失

身支度をして外に出ると、ビジネスライクにキビキビとした身のこなしをしている人を見て、ハッとします。

自分からは失われてしまった社会人としての振舞いをそこに発見してしまい、自分はもはや社会人としてビジネスのシーンに戻ることは不可能なのではないかと思うようになりました。

ただ外に出る事でさえおっくうになってしまい身支度もきちんとできずに外に出てしまった自分を思うと、なんて自分は何もできていないのだろうと思いました。

そして、人の目が気になります。自分が変な事をしていないだろうか、変な恰好をしていないか自信が無くなっているため、人の目が気になり、外にいるだけで疲れます。

そして、体力もそんなにないので、駅前まで歩いてどこに行ったらいいのかわからずにブラブラしているうちに消耗してしまい、アパートに帰ってしまうといった具合です。

チャンネルを増やそうと外に出たわけですが、現実は簡単ではなく、行く場所がわからず、気力と体力を使い果たしてアパートに戻ってしまうということで、自分は社会とのつながりを失ったと思うようになりました。

本来であれば、2ヶ月寝てばっかりいたのが、外に出れるようになった、とポジティブに考えるべきなのでしょう。しかし、病気になっていると、なかなかそういう客観的な見方はできません。

朝起きれない