「ぼの」は夜寝れない

このころ夜の寝つきが非常に悪かったのですが、朝走るようになってから、夜の寝つきはだいぶ改善されました。やはり朝に日を浴びて活動するというのは、夜に寝るためにとても重要であるということが分かります。最初は最低のコンディションで受けなければならなかった模試も、数回受けるうちに、段々と良いコンディションで受けれるようになりました。

ここで、寝るための重要な事ですが、寝るためには、寝る前の2時間程度が非常に重要になってくるようです。その間にPCや携帯をいじっていたりすると、脳が覚醒してしまい、寝れないということになります。薬を飲んだら、電子機器は触らずに、ストレッチ等のリラックスできるような行動をとるのが良いようです。ベッドに入る前に十分に寝る体制になって、ベッドに入ったらすぐ入眠できるのが理想のようです。

それから、夜食を食べないというのはとても重要です。夜食を食べると胃が働いているので十分な休息は取れないようです。試験前日はさすがにスッと眠れなかったので、夜食は我慢して、目をつぶってベッドでじっとして次の日を迎えました。きちんと寝ていたかどうかはわかりませんが、次の日ほとんど眠気はありませんでしたので、思ったよりうまく休めていたのだと思います。

こうして、試験前の3週間は何とかリズムが旨く維持されて過ごすことができましたが、かなり無理をして作っていたリズムでしたので、長くは続きませんでした。

朝走るのは難しい

今までは、リワークプログラムの運動に参加していたのですが、通学が始まって以来、運動が滞るようになりました。そこで、運動不足にならないよう、自分の生活のどこかにランニングを取り入れたいと思っていました。平日は通学、日曜は朝から模試でしたので、平日に模試の時間に合わせて朝起床して、ランニングをする日を週に2回入れようと思い、実行に移しました。

これによって、模試の日に眠くて体調のコンディションが特に悪いという事を防ぐとともに、運動不足を解消しようと思いました。実際、これは短期間で見るとうまく作用しました。朝からランニングをすることで、朝方に徐々に生活が整っていきましたし、引き続き運動も確保できました。それに加え、この朝ランニングというのは環境に依存しない運動法で、転職後も続けることが可能なのでとても都合がよかったのです。

副作用としてはそれ以外の日の朝がグダグダになるという事と、疲労の溜まり具合がかなり強いという事です。試験前の3週間はこれが出来ましたが、試験後はその反動で何もできなくなってしまいます。かなりハードルの高い事に挑戦しようとしていたことが分かります。

ちなみに現在は私は朝走ることは諦めています(笑 リワークプログラムに参加できる時はプログラムの運動が一番続け易いと感じています。転職後は、次にどういう運動にするかは臨機応変に考えようと思っています。

鬼のような通学

とうとう体調があまり芳しくない中、予備校に通学する日が来てしまいました。初日は力学の全範囲を一日で解き切るという鬼のようなメニューでした。絶望的な気持ちで、3,4時間通しで、問題に取り組みましたが、3/4程度しか終わらずに次の日に持ち越すことに決めました。

この日のその決断は正しい物でした。無理して夜遅くまで問題を解かなくて良かったと思っています。次の日に問題を見ると、思ったほど難しくないということが分かり、又、初日に比べると体調も少し改善していたため、より澄んだ心で問題に当たることが出来ました。これは非常に重要な教訓を含んでいます。難しい問題に直面した時に、ごり押しせず、きちんと休息をとって体制を立て直してから事に当たるということです。

私は前職では徹夜をしたりしていましたが、これは長い目で見ると非常に効率が悪く、危険な行為であったと思います。きちんと休養をとって安定した労働をするというのがとても重要な事ですね。

そうして、私の通学が始まったわけですが、始まった日は本当に辛くて、これを一ヵ月続けるという事はとても無理に思えました。しかし、最終的に私はこれをやり通すことになります。人間には適応力があるようです。どんなに辛い局面でも人間は慣れていきます。一ヵ月本当に辛かったのですが、段々とペースに順応していき、辛くとも毎週、同じように問題をこなせるようになりました。

これも私の中で、一つの自信になりました。私は辛い仕事であっても、繰り返しトライすることで慣れる事ができるという事です。もちろん、それが人間の活動限界を逸脱していないということは重要ですが、、、

中核信念・スキーマを探して

人間の行動原理というのがありまして、それはその人が一番恐れている事は何かみたいなことと私は理解しています。人は最終的に突き詰めていくと論理的に破綻している行動原理を事実のように信じ込んでしまっている場合があるようです。

面接の緊張をどうやったらほぐせるか、これを認知行動療法でどうにかできないかと相談するつもりで療法のクラスに参加しました。転職活動をしているときに、何も準備もなくある企業に応募してしまい、資格勉強の真っ最中に履歴書も職務経歴書もポートフォリオも何もないのに面接を取り付けてしまったという話をしました。

この日のお題は「行動原理」でした。あなたが恐れている事は何ですか?それはあなたにとってどういう意味ですか、そうなると最悪どうなるのですか、一番恐れていることは何ですか、というようなことを繰り返して、その一番底にあるものが「行動原理」と言われるようです。

私は面接に失敗することを恐れ、カウンセラーの先生に相談しました。すると失敗すると何がいけないのですかとたたみかけられ、解らないけれども失敗という文字になにかとてつもなくアレルギーを感じるというような事を話しました、それはなぜですか、特定の失敗した経験に基づくのか、失敗によって評価が下がるせいですか、といろいろ話をしましたが、カウンセラーの先生は納得していないようでした、より深い質問を受けるうちに私の口から出た言葉は「失敗してしまったらなす術がない」という言葉でした。すると、カウンセラーの先生から「あなたの行動原理はそれです」と言われ、それが正しいかよく考えてみて下さいとという言葉を後に、先生は立ち去ってしまいました。

私は自分でその言葉がしっくりきていたので、正しいかと言われてもピンときませんでした。しかし、しばらく「成す術がない」という字面を眺めていると、それがいかに退廃的で、論理的な根拠に基づいていないかということに驚きました。こんな酷い考えが自分の中でまことしやかに語られていたかと思うと寒気がします。この「成す術がない」という言葉を論理的に正しくできるのかはかなり難易度が高いですね。人間死んでしまう以外に、「成す術がない」という状況に置かれることはないのではという事に段々と気が付いてきました。

すると私が失敗を恐れていた理由は「成す術が無い」からであったので、成す術があるのであれば、失敗を恐れる必要がなくなったのです。人間は失敗して良いのですね。人間は失敗して成長していくのでどんどん積極的に失敗すればいいはずなんですね。それが本当の意味での失敗になるかは失敗後の対処によるというのはまた別のクラスのお題でしたが。

こうして、私の行動原理が暴かれたことによって失敗への恐れが大分軽減されて、緊張が解けました。自分を面接で失敗なしに良く見せようと考えたのがいけないことでした。面接は本当の自分を知ってもらうためにあるので、そこで見栄を張って自分を大きく見せても、後々辛いだけです。よって、自然体で受けるという事を意識して面接に臨むことが出来ました。

緊張性の胃痛に襲われる

何故胃痛になったかといいますと、転職活動を並行してしようとしていたのですが、まだ書類も業界勉強も準備もなにも用意が無いまま面接を申し込んでしまいました。しかも、次の日に企業から連絡が来ていて面接が決まってしまったのです。

これにより私の緊張感は20000%ぐらいに跳ね上がり、何も手につかなくなってしまいました。心臓と胃が口から出てしまうのではないかというぐらいの緊張感で、勉強どころじゃないという常態になってしまったのです。

体調が悪いのに、ウツの波もあるのに、勉強もしなきゃいけないのに、朝起きれないのに、働くことなんて全く考えられないのに、なぜ面接の申し込みをしたのか???もう、目の前が真っ暗でした。そこで、私は準備をある程度進めなければということで焦って、面接の練習を想像したり、業界研究について自分がどれほどの優位性を持っているかという事を考え始め、そして、どうやってこの面接を上手く切り抜ける抜けるかということに力を使い始めました。

今から考えると「上手く切り抜ける」という考えがいけなかったのですが、当時の自分は「失敗してはいけない」という固定観念に取りつかれていました。そんな中私を救ってくれたのは、やはり、認知行動療法のカウンセラーの先生でした。

諦めかけた初めての模試

これは一つの精神修養でした。2月から本格的に勉強を始めたとはいえ、地味に7年は勉強をしていましたので、その成果が試されるチャンスでもあったわけです。ところが、問題に取り組んでみると難しいのなんの、全く分からないのです。自信をもってこれが合っていると思えた問題があったかどうか、計画・設備で絶望し、法規で諦めかけました。文字通り法令集をゴミ箱に叩き込んでアパートへ帰ってしまおうかと本気で思いました。

7年分の勉強は無駄だったと、この試験をパスすることは不可能だと決めつけようとしていました。実際この時の点数は後から採点した結果では80/125点程度でしたので、実は準合格圏という決して悪い結果に終わったわけではないのです。しかし、試験中は解けない問題にあまりに気を取られれていて、自分の出来ている問題を全く評価できていませんでした。よって、試験中は自分が出来ていないと思い込み、できる問題も取りこぼしてしまったりいました。

結局、泣きたい思いでしたが、最後まで解きました。ここで諦めなくて本当に良かったと思います。この試験で学んだのは最後までやりきる事でした。個々の結果が良いかどうかで物事を判断すると全体を見誤ります。結果がどうかという事よりも、最後まで問題を解くということが大事だったわけです。止めない、最後まで走りきる。そうすれば、結果は良くても悪くても、自分がやってきた通りに評価される。途中でやめてしまえばそれが評価される機会も消えてしまいます。

この時期に80点を取ったという事は私にとっては全く評価できることではありませんでした。合格基準ラインを超えていて欲しかったのです。これが私の負けず嫌いな心に火を点ける事になるのですが。しかし、今から考えてみると、この時期の80点は評価してあげるべきだったと思っています。もうちょっと落ち着いて勉強できたのではと思います。

それからこの日は朝9時30分から模試でしたので、とても眠かったと記憶しています。その当時、特定の日に早く起きるということは重労働でした。前日は余り寝れていなかったので、コンディション最悪の状態でどれぐらいの実力が出せるかという事の一つの試金石になったのではないかと思います。

厳しめの選択肢と自信

このころも体調が悪かったのですが、その中でもある程度勉強をしていました。体調が良くても悪くても、勉強はしたくないという事には違いがないので、本当に起きることが出来ない時や、ふさぎ込んでしまうような常態でなければ勉強をするようにしていました。

大きなウツの波には対応できませんでしたが、体調低め安定程度のウツでしたら勉強できる選択を取ることが出来るようになってきていたのだと思います。一週間をきれいに回すという事はこの時期には全く出来ていませんでした。大きなウツの波が来ると数日ガッサリ持っていかれてしまうといった具合で、6月末から始まる通学をうまく回すためにどうしたらいいだろうという事を心配していました。

体調が低め安定で勉強がなんとなくできているというのは、当時の自分としてはガッツリ一日勉強出来てクリアという目標設定をしていたので、非常に不本意であり、自己評価としては非常に低い毎日でした。しかし、後から考えてみると、この時期の低い体調でもきちんと勉強を押し進めていたというのは非常にその後の展開を優位に進められる要因になっていることが分かります。

この時の、余り気が向かない常態で、多少無理でも、ペースが遅くても、勉強するというスタンスがウツの中でも前進を妨げられず邁進できるいう強さと自信を与えてくれていたと思います。

3日倒れて二歩前進

このころは一週間おきぐらいに大きく体調を崩していました。何もできずに悶々とする3日間というのはザラにありまして、本当に安定しない日々でした。特に朝方からきちんとレンタルオフィスに行って勉強をして帰るというのがきちんとできた日はかなり少なかったと思います。

ただ、土曜日の認知行動療法のクラスにはきちんと行っていたと思います。そして、少しずつ、ウツに対するコントロール能力の理解を進めていました。又、リワークプログラムの運動がかなり効いていて、最初はかなり辛かったのですが、数をこなすにつれ段々と楽になり、また体を動かしたことで、前進の血流が良くなっているのが感じられ、日頃の生活に良い影響が出ていたと思います。

完全にうつのペースに持っていかれてしまうこともしばしばあり、認知行動療法のクラスの実践のチャンスはかなりあったと思うのですが、まだスキルの力が足りていなかったように思います。

この頃、おなかの具合もあまりよくない時があり、痔になってしまい、毎日の痛みに耐えかねて、嫌になることが多かったと思います。これは体調が悪い時は、酷くなるので、うつと痔のダブルパンチはかなり辛いものがありました。

認知行動療法との出会い

私が初めて認知行動療法のクラスを受けた時のテーマは、”「気分」に合わせた選択肢を用意する”でした。私はいつもウツの気分で朝だるかったりして起きられない事を挙げ、そういう場合にどうしたら良いかをカウンセラーの先生に尋ねました。答えは明確でした。

先生の口から出た言葉を正確に記憶はしていませんが、趣旨は、”ウツの気分の隷従にならない。そして、生活リズムの完全崩壊を許容しない”という考えでした。

それは私にとっては、全く新しい物でした。頭を殴られたような衝撃を受けました。

私は今までウツの気分によって自分の行動を左右されていました。体調によって自分がしたいかしたくないかということに気を取られ過ぎていました。カウンセラーの先生はそんなことは関係ないと。ウツの気分が発生した場合、ウツに隷属的でない「行動」を選択する自由が人間にはあると、ウツであっても選択肢に幅があるという事を教えてくれました。

また、ウツがやってくると私は何もできなくなり、生活リズムは乱れてしまっていましたが、それも許さないという姿勢に驚きました。

この先の詳しい内容は認知行動療法のページで紹介しますが、この最初のたった一回のクラスだけで、私は認知行動療法に心を奪われました。

ウツに隷属的でない「行動」の選択権、ウツに自分の主導権を握られてしまっているという見方は、過去8年間全く考えもしなかったコンセプトであり、その物事の考え方にとてつもない可能性と魅力を感じたのです。

それからほぼ毎週、私は他の予定が許す限り、体調に関係なく、認知行動療法に通い始めました。

リワークプログラムは有効

私が見つけたリワークプログラムには運動の様なものがありました。その頃、私は集団認知行動療法なるものが何なのか全く知らなかったので、全く目を惹かず、私にとって魅力的だったのは、運動ができる事と、人と話すことが出来る環境でした。よって私が集団認知行動療法のクラスを受ける事になったのは全くの偶然です。

以前、認知療法の本を読んだことがありましたが、余り私の記憶に残っておらず、読んだのが認知療法の本だということも忘れていました。たまたまリワークプログラム担当カウンセラーの先生のお勧めの療法だということでクラスを受ける事になり、週数回リワークプログラムに参加することになりました。

これはレンタルオフィスにて試験勉強をしながら、リワークにも通うという何やら無理のごり押しみたいなことを始めてしまったと思いましたが、全く逆でした。むしろ、この時期に私が必要としていたのは、試験勉強よりも、リワークプログラムの、運動と集団認知行動療法のクラスでした。

リワークプログラムに通うようになって初めてからというもの、だいぶ人と話すようになり、私の会話チャンネル不足問題は解消したのでした。