認知療法ケースワーク:対人ストレス 現実と折り合いをつける

今日の課題・本文

Aさんは30代男性、総務の仕事をしています。入社以降、同じ会社で勤務を続けています。20代の頃は徐々に仕事も覚えて評価を受けていました。30代後半になると役職が上がり部下がつくようになりました。そして、仕事の量が増えたことで、「他部署に迷惑をかけないように仕事をしなくては」と責任を感じるようになりました。また、一人、十分に仕事ができない部下もいましたが「部下の育成は上司の務めだ」と考えて部下対応に時間を割くようになりました。すると、業務時間が拡大し、徐々に帰宅するのも遅くなるようになってしまいました。しかし、遅くまで職場にいても仕事が十分にできずに他部署から「まだできないの?」とせかされたり、1人の部下の仕事は改善されません。Aさんは、家に帰ってからも「あの仕事は終わっていなかった」「また他の部署に迷惑をかけてしまう」「周りから能力が無いと思われるかもしれない」と気が抜けず、不安で夜も眠れなくなってきました。上司にそのことを相談すると、「確かに他の人の方ができるが仕方ないだろう」と言われました。Asannhaこのままでは周りに迷惑をかけるし、信用も失うと思って不安な気持ちで追い立てられるように仕事をする毎日になっています。

本日のお題は、自分であったら、この状況をどう受け取るかです。
以下、私の分析結果です。

メタ認知


状況:
・役職の変化
・部下ができる
思考:
・迷惑をかけないように仕事をしなくては
・部下の育成は上司の務めだ
・あの仕事は終わっていなかった
・また他の部署に迷惑をかけてしまう
・周りから能力が無いと思われるかもしれない
・信用を失う
気分:不安
行動:追い立てられるように仕事をする

癖の検討


・迷惑をかける・また他の部署に迷惑をかけてしまう → 全か無か思考
・部下の育成は上司の務めだ → すべき思考
・あの仕事は終わっていなかった → 選択的思考
・周りから能力が無いと思われるかもしれない → 破局的推論
・信用を失う → 破局的推論

思考がどの程度の確率で起こるか


・迷惑をかける 100% (大なり小なり仕事をする以上お互い様)
・部下の育成は上司の務めだ 50% (半分は部下のせいでもある)
・あの仕事は終わっていなかった 100% (どこまで仕事するかのライン決めを間違えば常に仕事は終わらない)トリアージの考えを取り入れる。優先順位のつけ方
・周りから能力が無いと思われるかもしれない 100% (比較論なので誰と比べるかによって常に正となりえる)
・信用を失う 100% (これは上の結果起こる事なので、能力があると見せることに対する信用であれば100%それは失われる)

予測した状況が避けられない場合の心持(認知)働き方(行動)をするとよいか

迷惑をかけるというのは常に起こりえる事です。例えば、会社を休む、遅刻する、打ち合わせを忘れる、〆を守れない、法令違反、色々ありますが、、、起こってはならないと考えずに、一定の確率で起こるので起こったらきちんと事後処理をするという事です。一時的に穴をあけたぐらいで組織は滅びません。

致命的な仕事が終わってない場合、それは取捨選択を間違った場合であって、それが起こった仕組みをきちんと理解してその失敗が起こらない仕組みをきちんと考えるチャンスです。何かを発見している所ですね。

信用を失うとか、能力が無いと思われるのは本当にそうであれば仕方がない事です。早めにバレて楽になりましょう。失った信用は挽回できる実力があれば挽回できるはずだと考えます。

ここで今回感じたのは線引きですね。どこでラインを引くか、迷惑といっても恐らくレベルがあり、あまりボールが相手に行っても自分にあってもバランスが取れないだけで、どのラインを普通とするかで迷惑レベルが変わる気がします。損害としての迷惑であっても、それが本来は利益を生み出すはずであったという線引きが甘かったという見方もできますし、仮に損害を出していない状況でも、線引きを厳しくすれば、通常レベルの利益追求しかしていないという見方もできます。よって、ラインによって評価の別れる曖昧なものであるという印象があります。

仕事が終わらないというのも、レベルの問題で、仕事が全部全て片付いて何もすることが無いというような状況は非常に考えづらいと思います。よってどこに線を置くか、そして優先順位の基準が、現実に即したものであれば、致命的な間違いにはならないと思うのですが、仮にその間違いが起こったとして、線引きと優先順位のどちらかもしくは両方の見込みの甘さから来ていると思います。よって、決して自分の実力を買いかぶらないで、安全なラインで勤務できるようにするというのが効果的なのではと思いました。

総括

・損害を出してしまう
・迷惑をかける
・信用を失う
・能力が無いと思われる
・社会人として失格
・荷が重い、一部出来ない

未来に対して上記の物を「そうならないで」と考える事は危険です。物事を失敗しないようにやるというのは一番緊張してしまう状態ですね。

これは仕事の変化、仕事量の変化等で、一時的に起こる事なので、上の文字にアレルギー反応が出ているとしたら、それはストレスになる可能性が高いということです。よって、一時的にそうなるのは問題ない。むしろ必ず起こることだと考えたほうが良さそうです。

損害を出してもいいし、迷惑かけていいし、信用失っていいし、能力ないと思われても、社会人として失格と思われても、できなくても、良いですよと。全部比較論の話なので、自分は例えばスティーブ・ジョブズのように振る舞うのも期待されるのも無理です。自分のできる事しかできないのですから。とんでもない事を突然できるようにはならないというような事ですね。

ただ、実際にこの線引きの思考が職場で活きるかは相当な訓練が必要そうな気がします。でも、少なくとも、私は理論上、上記のアイテムに対しての認識は変わったので、アレルギー状態からは脱していると思います。あとは実践あるのみですね。

認知療法ケースワーク:対人ストレス 自責感を乗り越える

本日の課題・本文

Aさんは30代男性、PC関連の仕事をしています。入社以降、同じ会社で勤務を続けています。20代の頃は問題なく働いていましたが、30代になって他の部署へ異動になると、移動先の上司から「ここができていない」「やるきがあるのか」と叱責されるようになりました。Aさんとしては一生懸命にやっているつもりでしたが、それは認めてもらえず繰り返し上司から「うそはつかなくていいから」などと否定されてしまいます。「高圧的で嫌な上司だ」と思う反面、上司に言われる通りミスも多い事から「私がミスをするから上司に怒られるんだ」「私が悪いんだ」と考えるようになりました。職場には5人同僚がいますが、同僚たちは「じょうしは職務能力の高い人だ」といっています。しかし、Aさんは上司にわからないことを質問しても「そんなことは常識だ」「いままでなにをやっていたんだ」としかられるだけでどうしていいか分からず、だんだん高圧的な上司に遭う事が怖くなり、自責感も強くなっていきました。すると、だんだんと気分も憂鬱になり朝起きれずに出勤できなくなりました。

Aさんの悪循環をまとめてみましょう


状況:他部署へ異動、十分に仕事は憶えられていない、上司からの叱責
思考:高圧的で嫌な上司だ、私がミスをするから、私が悪いんだ
気分:怖くなり、自責感も強く、憂鬱になり、
身体:朝起きれずに出勤できなくなり、

考え方の癖を検討してみる


「私が悪いんだ」→ 個人化・結論の飛躍
「高圧的で嫌な上司だ」→ レッテル貼り・感情に基づく推論

状況に即したか捉え方の検討


「私が悪いんだ」→ 慣れていないから、ミスが多い。新しい仕事の時は慣れるまでしょうがない。出来ない所でなくできたところをカウントすべき。
「高圧的で嫌な上司だ」→ 職務能力の高い上司から能力を高く見積もられているために指導のレベルが高い。(期待されているから指導が起こるというポジティブ評価と受け止めた)ある意味好意的。

対処方法の検討


スペックの高い上司の目標設定に引きずられて自己評価が下がってしまっている状態。→ 目標設定の失敗
新しい仕事に慣れる、できる事を増やすという、自己の目標設定をしっかり持つ。

上司の目標設定は長期的なものとして参考レベルに記憶するに留める。

残業が発生しているわけではないので、叱責さえ苦にならなければ実害はないはず。

感想


上司にこういう人、必ずいます。君主論的な手法を使って恐れられる上司を演じる人ですね。この手法を真に受けると辛いものがあります。世の中にはこういう人が一定の割合でいるので、このシチュエーションはほぼ遭遇すると考えて良いと思います。

対処方法はパーソナルに取らないという事と、上司から褒められるような事を目標にしない事だと思います。上司は怒るもので、信号は赤になるのと一緒ぐらいの気持ちで働きたいものです。

なぜ「ぼの」は抵抗なく認知行動療法に取り組めたか

今年になって認知行動療法を始めたわけですが、私は認知「行動」療法は初めてでしたが、「認知療法」の存在を知らなかった訳ではないのです。実は認知療法に関する本を2冊読んだことがありました。ところが、当時、私はその考え方に懐疑的であり、認知療法があまり有効であるという結論に達することはできませんでした。それに対し、今年始めた集団認知行動療法のクラスでは、全く抵抗なくその手法を吸収することが出来ました。

この違いはどこから来たのか不思議に思い、再び認知療法の本を読み返してみました。確かにそこに並んでいる「思考」に関する考え方の癖は集団認知行動療法で習ったものでした。「認知療法」の記述に関しては完全に一緒なのです。ただ、なぜか本を読んだだけでは納得できない理由がありました。

認知行動療法に納得できなかった理由


本を読んで、「ぼの」の認知療法の初めての印象は下記の二つです。

1.思考の歪みをパーソナルに取ってしまう

私が読んだ、認知療法の本の印象としては、「うつ病になった人は思考が歪んでしまっているので矯正しましょう」というようなスタンスで書かれていたのです。これを私はパーソナルに取りました。例えば本と私の会話が発生していたとしたら下記のようになります。

 本:あなたは歪んだ思考を持っています。
ぼの:いや、そんなことないと思いますけど。
 本:あなたの考え方はおかしいので矯正します。
ぼの:おかしくないのでやめてください。
 本:ほら、例えばこうですよ、おかしいでしょ?
ぼの:、、、

まず、歪みであるとか癖であるとかそういうことを言われると自分の事を攻撃されているようで反発したくなるのですね。これは個人化というか、中傷されているような気分になり、問題を個人的に取ってしまいます。

実際のところ、何回もトレーニングを積んだ後に自分の思考を振り返ると、私の思考はかなり歪んでいました。しかし、それを自分で認められるようになるまでには多くのステップを踏む必要がありました。これを、最初から自分の体験をもとに、自分が歪んでいるという認識までジャンプするのはかなり難易度が高いような気がします。

2.自分の考えが歪んでいると思えない

これは自分が歪んでいるという事を何らかの形で受け入れる事を決めたとします。それでも本人は正しいメンタルバランス感覚を失っているということに気付かない事があるのですね。

ぼの:私が歪んでいるのは認めますがどう歪んでいるんですか。
 本:あなたは右に20度ずれているので戻す必要がありますね。
ぼの:私はまっすぐに立ってるつもりですが。
 本:本来であれば20度戻すところが正しい所だと思いませんか。
ぼの:あなたがまっすぐ立ってないだけじゃないですか。
 本:一般的にはこれが正しい姿勢です。
ぼの:、、、

そもそも「思考」の歪みなんですね。自分の目を通して物事を見ている時点で、平衡感覚を失った頭で物事を考えているんです。あなたの考えが、「おかしい」と言われたところで、どうおかしいのかわからないのです。自分のバランス感覚が崩れてしまっていては、正しい平衡感覚に気づくことは非常に難しいのです。バランス感覚を取り戻すためには、「客観視」ができないといけないのですが、私の場合、平衡感覚を失った自分の目を通して物事を見ているので、そもそも客観視というものが何だったか分からなくなっていました。

この1.と2.の二つの抵抗要因を見事に取り払ってくれたのが「集団」認知行動療法でした。これは実際に集団認知行動療法自体がとてもうまくできているのか、それとも私が通っていた医療機関のカウンセラーの先生がとても優秀なのかは判りません。よってどの医療機関でも同様の授業が受けられるとは限りませんので、私の場合として書かせていただきます。

「ぼの」が集団認知行動療法でうつを治せた理由

1.考え方の癖について考えるのはかなり後ろのステージだった

最初の方のレクチャーでは、どちらかといったら「行動」についての話が多く、「思考」についてはかなり授業では後の方でした。よって私は行動の考え方に惹かれていったので、考え方の癖というのが私に該当するなどという事は知らずにこの療法を始めたのが結果的に良かったと思います。

それから、考え方の癖というのが一般的にありますというような話があるという事には言及がありましたが、あなたがそれですとは言われなかったのですね。なので、あまり自分が歪んでいるという事実を意識せずにこの療法に望めた事も大きかったと思います。

実際に自分が歪んでいるという話なのか?と思う頃には2.の練習を数多く積んでいたので納得して考えられたのです。

2.バランス感覚を養うための、他人の例を用いた練習が数多くあった

これは「他人の例」を「数多く」というのがミソです。私はとても性格が捻じ曲がっているので人の事を論破するのは大好きなのです。まず始めの課題は、他人事のケースワークを論破するエクササイズでした。間違い探しの要領で人のあらを探すのは非常に簡単だったのですね。他人事だから間違っていると指摘しやすいし、他人なので自分は一切傷つきません。

それから、「集団」でやっているので、他の人の考えやケースをいくつも見ることが出来ました。自分よりうつ志向の強い人がいたり、そうではなかったり、それを眺めているうちに段々と自分の立ち位置が見えてくるのですね。それから数多くのケースワークをこなしているうちに論破するのが得意になってきます。

最終的にはこの論破スキルを自分自身に向ける事で私は自分の歪みに気付くことが出来ましたが、慣れないうちは、自己分析はかなり難易度が高い物でした。自分が歪んでいるという認識ができたところで、自分の分析に入ると途端に全く人の例と同じようには分析ができず、「事実」と「思考」の振り分けさえままならないということがありました。

平衡感覚がある程度戻っても、自分の事になると主観的な判断をしてしまうことが多かったので、平衡感覚を失っている状態でいきなり自己分析をしても、なかなか認められないのは仕方がない事ではないかと思います。それから、この平衡感覚はある程度頻繁にやっていないと、抜けて行ってしまいます。定期的なクラスの受講は非常に効果的だと思います。

3.あなたはこう直しなさいというような矯正を強いられなかった

これは集団認知行動療法の特色であるのか、それともカウンセラーの先生の良い所であるのか判断がつかないのですが、基本的な姿勢として、あなたはどう思いますか?という投げかけを多くして頂けた先生でした。私の中核信念を発見していただいた時も、決してそれが間違っているとは先生から伝えられることはありませんでした。

よって、私は、2.で身に付けたスキルを自分に適応し、自己分析をすることで、自分の癖を他人から指摘されて修正するのではなく、自分の気づきによって自己修正できました。もちろん慣れてくれば、自分の考えを他の人に聞いてもらって、正しいかどうか聞いてみるというようなオープンなことも最終的にはできるようになっていきましたが。

自分で自分を修正できるようになるととても強いと思います。

「集団認知行動療法」の良い所

まずは費用が安いという事ですね。一対一ではなく、カウンセラーの先生一人に対して10人~程度ですので、先生の目が届きにくいかもしれません。よって、パーソナルにあまり斬り込まれたくない方、もしくは自分から進んで質問できる方には特にお勧めです。

それから、他の人のパターンをより多く見る機会があったということも良かったと思います。間違っている例を沢山見る事で、何がより状況に即しているか、いないかの判断材料が非常に豊富に手に入りました。それから、ブレインストーミングの量・バリエーションも数が多く手に入ります。ある一つの状況に対して、より多くの選択肢を学ぶ機会がありました。

このようにして私は自分自身が歪んでいるという事実に気付き、それを分析し、論破し、そして現在の心の平安を手に入れるに至りました。これは認知行動療法そのもの、導いてくださったカウンセラーの先生そして、一緒に学んだ同じ境遇の方々のお陰だと思っています。

「ぼの」の適当な記録のとり方

体調の長期的な変化を把握するためには、毎日の記録というのが残っていると良いですね。起床時間、入眠時間、ご飯を食べたか、活動内容と時間程度があると後から分析がしやすくなります。

何をしたかについては、予定とそれをしたかどうかを手帳に記録すれば良いので普段の生活で手帳を活用している方は簡単だと思います。それに対し、睡眠時間と運動の記録は記録するのを忘れてしまうことが多々あるので、お勧めの方法としてはアプリを活用するというのがあります。

活動量を図ってくれる万歩計的なアプリが多々出ています。何もしなくてもカロリー換算をしてくれたり、運動の記録を取ってくれたり様々ですが、一つ入れておくと、自分の活動量が極端に下がっている(上がっている)場合、客観的なデータを得られますので、かなり役に立ちます。

それから睡眠時間を図ってくれるアプリもあります。これも寝る前にセットしておけば、実睡眠時間を計ってくれたり、時間を記録してくれたりするので、非常に便利です。薬を飲んでいる人は、単純に薬を飲むタイミングで寝る時間起きた時間をメモするだけでも良いと思います。

それからBDI(Beck Depression Inventory)のようなうつの状態を客観的に測れる簡単なテストを週ベースで記録を取っておくのも大変有効です。BDIとまでいかなくても5段階で何点とかでも良いと思います。

どちらにしても後から数か月前の自分の状態と現在の状態を比べられるのはとても良い事です。自分では気づかない間に状態が変化している場合の客観的な評価基準になりますね。

「ぼの」のうつを迎え討つ心構え

うつが襲ってくるというのは非常に嫌なものですね。しかしながら、それをビクビクして待つのは嫌なので、ちょっと逆にこちらから迎え撃つ作戦を考えているわけです。

うつ病というのは厄介で、全ての事がとても難しく感じるようになります。普通の状態であれば動く事はそんなにストレスではないと思うのですが、うつになったとたんに鉛の重りを体中につけられているような状況になります。

これをですね、ドラゴンボールに例えると、無理に重い金属製の重りをつけて修行させられるみたいな事だと思ってください。で、これは状況としては不便ですね。とても大変なのですが、それを有利側に取るという考え方を一つ思いつきました。

これはもう修行であると。突然自分が望んでないにもかかわらず、修行が始まったと考えるという。はい。あなたは選ばれしものですね。今日から修行をしてくださいと神様(緑の人)から言われるわけです。(そんなシーンは無いか)

そうか、やった~私は修行ができる。凄い重い腕輪と足輪をつけてそれでも動けるようになるための修行ができるんだ。と、普通の人はならないと思うのですが、ある意味うつに対する挑戦権が与えられている。そういう意味では普通の健康な人よりもハードな人生を生きるハードコアモードの挑戦権というのを選択権なしに与えられている状況と考えることが出来ます。

うつに襲われているという事は、これはもう、チャンス到来、生き延びるためのサバイバルスキル(認知行動療法)を試すチャンスであると思って張り切って望むということができるのではないかと思い始めたわけです。普段から認知行動スキルを際限なく研ぎ澄ませておいて、これぞというときに使うという。

うつは治りかけてくるとたまにしか襲ってこなくなるので、認知行動スキルを試すチャンスだと思って張り切ってカテゴリー分けと分析を行って、メタ認知!そして、選択肢を沢山用意して、どうだ、参ったか!!!ってできたらいいなって思います。

「ぼの」は希死念慮はかなり危険と考える

希死念慮がある時は、あなたの命が危険に晒されているという事を、危機として再認識してください。自分が自分によって命を狙われているという事は、他の人があなたを守ることは非常に難しいという事です。他にどんな心配事があっても、何よりもあなたの命が重要です。何をもってしてでもあなたの命を最優先して下さい。

あなたが生きているとしたら、それは何かの運命で、あなたが必要とされているからだと思ってください。どんな大失敗続きの人生であろうと、もう成す術がないように思えたとしても、必ず道はありますから。この世の採点基準は生きているということが99%を占めます。失敗や成功は残りの1%未満です。どんな生き様であれ生き残っているということが重要なのです。

希死念慮がある時は、通院・服薬、気晴らし等で物事を考えなくて済むようにできると良いですね。ストレッサーから距離を置きましょう。それから、頼れる人はどんどん頼りましょう。個人戦よりもチーム戦です。相談できる人、頼れるリソース、選択肢をなるべく増やしましょう。

現状がどれだけ厳しいように思えても、何としてでも生き残ってください。うつに打ち勝つのは可能です。打ち勝ってしまえば、態勢はどれだけでも立て直すことが出来ますから。命だけは守り続けてください、生きてて良かったと思える日が必ず来ますから。

うつ症状における「ぼの」の再発しない治り方

私は恐らくですが、もう再発はしないのではないか、もしくはしてもすぐに収集がつくレベルで終わるのではないかという気がしています。というのは、私はうつの悪循環の中で、服薬というところではなく、それ以外の手段をより多く持つことでうつから抜け出せつつあるからです。

ストレス局面でのより多くの選択肢の考え方、自分の思考の捉え方の補正の仕方等、原則を沢山学んできたわけですね。これによって、論理的にうつに対抗する選択肢がかなり増えつつあります。

現在ストレッサーから離れているという事は否めないのですが、少なくとも服薬だけに頼っている訳ではないというのはかなり自信になっています。最悪、再発しても、このサイトの自分の書き込みに戻ってくれば手掛かりがつかめると思っています。

「ぼの」は選択肢が増えると楽に闘える

身近にあるいろいろな局面で、選択肢が増えるという事は、単純にそれだけで人生が詰まなくなるんですね。どんなストレス局面であろうと、うつに襲われている局面であろうと、それに対してできる手段が沢山ある限り、状況は改善の余地があります。

認知行動療法はある意味、この選択肢をどんどん増やしていくという意味で、非常に効果的であると私は思います。あぁ、もうどうしようもない。私は死ぬしかない、、、みたいなことになるのが一番マズイので、そうならないために色々な思考訓練ができるというわけです。

出来ることがゼロという状態から、あれも、これもできるなぁ、うーんどれにしよう、これやってみるか、いやダメだったから、こっち、それでもだめだから、これもやってみるか、、、とやっているうちに上向きに状況は改善しますので。

そして、選択肢が沢山あると安心します。何か大変な状況でも、それに対する対抗手段が沢山用意されてれいれば、とても安心なのです。例えば、将棋で言えば常に持ち駒が沢山あるとか、逃げ道が沢山あるみたいな状況であれば、そんなに追い詰められた気分にならないものです。

是非、選択肢はどんどん増やしていきましょう。

服薬から認知行動療法へのシフト~うつ症状は右肩上がりには改善しない

薬もうつ症状も減ってきている現状を考えると、うつは確実に治るのではないかと予想されます。私はこの8年間治らないと思っていました。治るというのは「薬を飲まなくてもはやうつにならない」という事です。私の場合、うつになる前と全く同じ生活が戻ってきています。そして、私はウツになる前よりも確実に人間としてうたれ強くなっている事に気が付きます。

うつを治すためには、まず、うつが起こる仕組みを把握する必要があります。私の場合過去7年間は服薬治療しかしていなかったので、応急処置というような事しかできていませんでした。自分のスキルアップは7年間手つかずでした。この服薬以外のうつに対する対抗手段を多く持ち得るということが、うつの根本解決に結びつきます。

服薬はある程度必要ですが、全面的に服薬に頼っていては私のようにうつは長期化します。一時的に薬で状態が安定しているのであれば、なるべく服薬以外のうつに対抗する手段の開拓に移行できると良いと思います。調子が安定するようであれば、少しずつ薬を減らしていけると良いと思います。

自分のうつは絶対に治らない、もしくは現状治っているように感じられない場合もあると思います。この半年の間でも私自身そのように感じる事もありました。そんな時によくありがちなのはうつのアップダウンの中で、ダウンの時の印象があまりにも強く残っているため、全体として治っていないのではないかと思ってしまう事があります。体調が全体的に上がっているという事を客観的に判断するためには、記録をつける事が有効な場合があります。

うつは私の経験では右肩上がりには上がっていきません。大きな波の中で段々と上向いていくというイメージです。このアップダウンのアップの状態でいかにダウンに対しての対抗手段を多く用意し、ウツの波に備えられるかがキーポイントになっていると感じます。うつに完全にやられてしまっている局面から抜け出せない場合、私の場合に突破口になるのは状況の整理・分析とそれに対してどの様な選択肢を今まで考えてきたかという事です。

もちろん基本となる生活リズムに支障が出ている場合、自分の行動がうつの気分によってバラバラになっていないかということも考える必要があります。うつサイクルが維持されている理由を明らかにして、そのサイクルを良い方に向けられる行動をとっていけば、確実に状態は良くなっていくと思います。

命の危険がある場合、または生活リズムがどうしても改善されない場合は一時的に服薬によって小康状態を得るのも一つの手段になるかとは思います。ただし、できる限り、「行動」の選択肢を増やす事や、自分の「思考」の癖等を把握することで、気分を良くしたり、うつを未然に防げるとうつの根本的解決に近づいていくと思います。無理は禁物ですが、徐々に服薬からシフトしていけると良いですね。

なんにしても、うつはが治ってきている人間が1人ここにいる事が希望になれば幸いです。私が治ってきているのですから、きっと治ると思います。

認知療法ケースワーク:対人ストレス 自分の価値観を持つ

今日の課題・本文


今日は下記のAさんの状況(抄)を分析し、対策を考えました。

Aさんは30代のサラリーマンです。Aさんはある部署に異動、その部署では一番年下で、二人の先輩と仕事をすることになりました。先輩は「残業は年下の仕事だ」といって、来客対応や電話対応を全て押し付け、Aさんは自分の業務もあるため、毎日3~4時間の残業になります。先輩たちは定時であがります。先輩に大変さを伝えても分かってもらえず、Aさんは上司に相談すると、上司から電話対応は先輩が対応することになり、業務負担は公平になり、先輩もAさんも定時で帰れるようになりましたが、先輩から「本来はお前の仕事なのに困っている」とたびたびいわれます。そして、Aさんが席を外した時に、事務仕事を机に乱雑におかれます。そのため、席に戻ると散らかった机をみてげんなりします。また、先輩からは「お前のせいで負担が増えて大変だ」「あれもこれも雑用はお前の仕事なんだ」と上司のいない所で言われ続けます。そのことを上司に伝えると、「人間関係の問題には立ち入らない」と言われています。Aさんは不満と罪悪感で心がいっぱいです。

今回は、個人の価値観に沿って、解法を考えるという事でしたので、下記は私の考え方です。

Aさんの抱える問題をリストアップ

・先輩に対して罪悪感がある
・先輩とコミュニケーションができていない
・自分を責めている(個人化)

私が職場でどのように評価されたいか

・謙虚な
・フランク・フェア
・実力のある
・勤勉な

私が定年を迎えた時、どのような働きをする(能力・人柄)であったと言われたいか。

・役に立つ
・頼れる
・パワフル
・開拓できる
・話の分かる

わたしが人生を終えるときに親しい人からどんな人だったといわれたいか。

・熱量のある
・前向き

上の価値観を踏まえ、Aさんの問題の解決方法を検討する。

私が真っ先に考えたのは、フェアであるという価値観でした。よって、Aさんは先輩と粘り強く渡り合わず、上司に相談することになってしまったので、チクったみたいな状態になっています。それによって罪悪感を持ってしまっていると思います。ここは一つ先輩に詫びを入れて筋を通すことでその罪悪感を軽減することが必要ではと思います。

謝りによって先輩が良しとするかどうかは先輩の胆力が問われます。ここで許せない先輩であれば大した人間ではないので、こちらも割り切った対応ができると思います。一度筋を通したらこちらに非はないわけですから、罪悪感を感じるのはフェアでないので、その程度の人間であるという事で諦めるのが良いかと考えました。

一度謝ったものは、もはや悪びれず、「いつもすみません」「申し訳ないです」と残業を手伝ってくれる先輩をねぎらいつつ、淡々と仕事をこなしていけるようになりたいですね。嫌がらせは悪くとらずに「ちゃーんと置かないとだめですよー」と冗談で返します。年単位でこいつに嫌がらせをしても無駄だなと思わせる努力をしたいと思います。

総括

カウンセラーの先生から今回のまとめ

1.どんな状況でも自分のやりたい事、欲しいものが手に入るように努めましょう
2.「妨害する」ような人に会った時は下記が基本
    ・距離を置く
    ・評価をシャットアウト
    ・仕事以外のチャンネルを増やして、自分のなかでの比率を薄める

悪い所は諦め、良い所を探すのも一つの手でしょうとのことでした。
相手の振舞を変化させるのに期待するのは非常に難しく、年単位のストレスになる可能性があるため、自分の中でまずは処理が定石のようです。その後、自分の中での処理ができてから、相手の変化を気長に待つのは一つのアプローチになりそうです。

今回は、自分の価値観に照らし合わせてですので、一つの答えには行きつきませんでしたが、相手に対立はせずとも、屈しない姿勢というのは一考の価値があるなと思いました。