諦めかけた初めての模試

これは一つの精神修養でした。2月から本格的に勉強を始めたとはいえ、地味に7年は勉強をしていましたので、その成果が試されるチャンスでもあったわけです。ところが、問題に取り組んでみると難しいのなんの、全く分からないのです。自信をもってこれが合っていると思えた問題があったかどうか、計画・設備で絶望し、法規で諦めかけました。文字通り法令集をゴミ箱に叩き込んでアパートへ帰ってしまおうかと本気で思いました。

7年分の勉強は無駄だったと、この試験をパスすることは不可能だと決めつけようとしていました。実際この時の点数は後から採点した結果では80/125点程度でしたので、実は準合格圏という決して悪い結果に終わったわけではないのです。しかし、試験中は解けない問題にあまりに気を取られれていて、自分の出来ている問題を全く評価できていませんでした。よって、試験中は自分が出来ていないと思い込み、できる問題も取りこぼしてしまったりいました。

結局、泣きたい思いでしたが、最後まで解きました。ここで諦めなくて本当に良かったと思います。この試験で学んだのは最後までやりきる事でした。個々の結果が良いかどうかで物事を判断すると全体を見誤ります。結果がどうかという事よりも、最後まで問題を解くということが大事だったわけです。止めない、最後まで走りきる。そうすれば、結果は良くても悪くても、自分がやってきた通りに評価される。途中でやめてしまえばそれが評価される機会も消えてしまいます。

この時期に80点を取ったという事は私にとっては全く評価できることではありませんでした。合格基準ラインを超えていて欲しかったのです。これが私の負けず嫌いな心に火を点ける事になるのですが。しかし、今から考えてみると、この時期の80点は評価してあげるべきだったと思っています。もうちょっと落ち着いて勉強できたのではと思います。

それからこの日は朝9時30分から模試でしたので、とても眠かったと記憶しています。その当時、特定の日に早く起きるということは重労働でした。前日は余り寝れていなかったので、コンディション最悪の状態でどれぐらいの実力が出せるかという事の一つの試金石になったのではないかと思います。

厳しめの選択肢と自信

このころも体調が悪かったのですが、その中でもある程度勉強をしていました。体調が良くても悪くても、勉強はしたくないという事には違いがないので、本当に起きることが出来ない時や、ふさぎ込んでしまうような常態でなければ勉強をするようにしていました。

大きなウツの波には対応できませんでしたが、体調低め安定程度のウツでしたら勉強できる選択を取ることが出来るようになってきていたのだと思います。一週間をきれいに回すという事はこの時期には全く出来ていませんでした。大きなウツの波が来ると数日ガッサリ持っていかれてしまうといった具合で、6月末から始まる通学をうまく回すためにどうしたらいいだろうという事を心配していました。

体調が低め安定で勉強がなんとなくできているというのは、当時の自分としてはガッツリ一日勉強出来てクリアという目標設定をしていたので、非常に不本意であり、自己評価としては非常に低い毎日でした。しかし、後から考えてみると、この時期の低い体調でもきちんと勉強を押し進めていたというのは非常にその後の展開を優位に進められる要因になっていることが分かります。

この時の、余り気が向かない常態で、多少無理でも、ペースが遅くても、勉強するというスタンスがウツの中でも前進を妨げられず邁進できるいう強さと自信を与えてくれていたと思います。

3日倒れて二歩前進

このころは一週間おきぐらいに大きく体調を崩していました。何もできずに悶々とする3日間というのはザラにありまして、本当に安定しない日々でした。特に朝方からきちんとレンタルオフィスに行って勉強をして帰るというのがきちんとできた日はかなり少なかったと思います。

ただ、土曜日の認知行動療法のクラスにはきちんと行っていたと思います。そして、少しずつ、ウツに対するコントロール能力の理解を進めていました。又、リワークプログラムの運動がかなり効いていて、最初はかなり辛かったのですが、数をこなすにつれ段々と楽になり、また体を動かしたことで、前進の血流が良くなっているのが感じられ、日頃の生活に良い影響が出ていたと思います。

完全にうつのペースに持っていかれてしまうこともしばしばあり、認知行動療法のクラスの実践のチャンスはかなりあったと思うのですが、まだスキルの力が足りていなかったように思います。

この頃、おなかの具合もあまりよくない時があり、痔になってしまい、毎日の痛みに耐えかねて、嫌になることが多かったと思います。これは体調が悪い時は、酷くなるので、うつと痔のダブルパンチはかなり辛いものがありました。